諸行無常とお念仏


 仏教の悟りとは、『諸行無常』をそのまま受けとめるということです。いつどこで何があるかわからないし、絶えず変化し続けているこの世で、ありのままの現実をわかりましたと、受け止められればすなわちそれが悟りの境地といえるでしょう。
 しかし私たちは現実を受け止めることができずに、悩み苦しんでいます。例えば「なぜこんなことが起きてしまったのか」「まさかこんなことが」など想定外の出来事や、人と人との関係の中でも「信じていたのに」「あの人がまさか」などと裏切りや信頼を損ねたり、いざとなれば何をしでかすかわからないのが人であり私自身であると知らされます。
 言葉の意味は理解しても、受け止めることは難儀なことですね。誰でも老いて病み死ぬことは理解してても、不治の病であと何日かで死ぬと宣告を受けたら、「はい、そうですか」とすぐに受け止められないですね。悟りの境地は、なかなか遠いようです。
 阿弥陀如来のお心は、諸行無常の中で苦しみながら生きる私のありのままの姿を見抜かれ、『われに任せよ・そのままでいいぞ・必ず仏にするぞ』と『南無阿弥陀仏』という言葉となって、間違いなく届いてくださっています。悩み苦しい人生ですが、お念仏申し阿弥陀さまにいだかれながら、未来ある人生を精一杯生き抜きましょう。

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