大遠忌団体参拝特集 宗祖親鸞聖人を訪ねて大遠忌法要の旅  釋入真(熊野智仁)様より

1日目

平成23年10月14日(金)早朝、私たち「親鸞聖人750回大遠忌法要参拝団」は、まだ暗いうちからお寺に集合し、午前8時の飛行機で新千歳空港を飛び立ちました。

すでに天気予報で心の準備はできていましたが、私たちが関西空港に降り立つのを待っていたかのように雨が降り出し、京都行きバスの車中はほとんど雨でした。

京都に入る直前で雨が止み、「このまま晴れてくれれば・・・」との淡い期待をしながら、昼食は坊守さんおすすめの「おめん銀閣寺本店」さんで、おいしい京うどんをいただきました。

昼食を終えて外に出てみると再び雨が降り出していて、傘をさしながら銀閣寺を見学です。
銀閣寺は有名寺院のためか、修学旅行の生徒や海外からの観光客が非常に多かったように感じました。


銀閣寺を後にした私たちは、「本願寺北山別院」をめざしました。バスを降り、降りしきる雨の中、山の斜面に住宅が立ち並ぶ小道を10分ほど歩いて行くと、突如として北山別院は現れました。

まずはご本堂で、石堂ご住職に導師をしていただき讃仏偈をお勤めしてから、別院の方に歴史をお話しいただいて、御内陣や境内を見学しました。

親鸞聖人が比叡山から烏丸六角堂の救世観音へ百日間の参籠をするための道すがら、毎日ここで身を清めたとされる井戸水があり、これが現在の北山別院の山号「聖水山」の由来だそうです。そして、境内に併設されている幼稚園の名称も「聖水幼稚園」でした。

石堂ご住職のお話によると、眞願寺の山門建立時に、この別院の山門の形を参考にしたとのことで、言われてみれば扉がついているかいないかの違いだけで本当によく似ていました。
また、下端が波型をしている、あまり見たことのない形の梵鐘もありました。

ご本堂は30人で満堂になるかと思えるほどで、すべてにおいて質素という形容詞がぴったりの北山別院ですが、20年間も修行した比叡山を下りて吉水へ向かい、法然上人門下に入られた頃の親鸞聖人を偲ぶ貴重な場所として、しっかり記憶にとどめておきたいお寺でした。

次の大谷本廟では注意報が出るほど雨がひどくなり、楽しみにしていた総門へつづく階段を登れず、裏口のようなところから入場しました。礼拝堂では最前列に座って、ほかの地域から参拝された方々とともに讃仏偈を勤行、ご法話をいただき、続いて第二無量寿堂、第一無量寿堂の順に納骨式をし、それぞれ重誓偈をお勤めしました。

そして、明著堂に参拝・ご焼香。ついに親鸞聖人の御廟所を参拝できたことに大きな感動を覚えました。
雨を避けるため通路に張り巡らされた白いテントの中しか移動できず、本廟全体が良く見えなかったことが残念でしたが、母の遺骨を宗祖の御廟近くにお預けできた安堵感につつまれて、「また参拝させていただきます」と心でつぶやきながら、大谷本廟を後にしました。

夕食はご住職の紹介により、三十三間堂に近い鰻料理の老舗「わらじや」さんで、「う鍋」と「う雑炊」をいただきました。うなぎと思えないほどあっさりとしたスープの味が絶品です。
お店の名前は、豊臣秀吉がここでわらじを脱いで一服したことが起源だそうで、このメニューだけで商売をしていると聞き、久しぶりに「頑固一徹」という言葉が脳裏に浮かびました。


2日目

750回大遠忌法要の朝を迎えました。今にも雨が降り出しそうな空模様でしたが、皆さんの願いが通じたのか、バスを降りて本願寺境内で記念写真を撮るまでは傘を使わずにすみました。

最初に阿弥陀堂でご本尊を参拝後、渡り廊下を通って大遠忌法要が行われる御影堂に入りました。初めて本願寺に来た私は、二つのお堂の大きさにまず圧倒され、今まで何度も身近なお寺に入っていたはずなのに、この時は「包容力」のような不思議なものを感じました。そして、御影堂の親鸞聖人御真影を感謝の気持ちで参拝させていただきました。
御影堂はその大きさもさることながら、お堂をはみ出すほど置かれている椅子の多さに驚きでした。この日も午前中だけで約3000人の参拝者があったということです。大遠忌法要は宗祖讃仰作法(音楽法要)で営まれ、大勢の参拝の皆様方とともにお勤めさせていただきました。


また、この日のご法要では、知恩院門跡さまと真宗各派ご門主さまによるご焼香が執り行われることになり、大遠忌法要の中でも一度しかない貴重なご縁に出会うことができ、とても嬉しく思いました。

お堂内の太い柱が邪魔をして御内陣は直接見えませんでしたが、ご出勤された石堂ご住職のお姿や各派ご門主さまのご焼香のようすを大型スクリーンで拝見することができましたので、同じ時間を共有できた幸せの方が大きかったです。ご門主さまのお言葉を拝聴して、「人間の自己中心性」について考えました。東日本大震災と原発事故で被災された方々とその後の世情を思うと、今回の大遠忌スローガン「世のなか安穏なれ」が一層心に沁みました。

御影堂での大遠忌法要終了後、眞願寺参拝団では父と私の二人だけでしたけれども、約210名の方々とともに阿弥陀堂で帰敬式を受けました。受付したのが早かったためか、偶然にもご本尊のすぐ前に着座させていただき、式の説明をされる方から「一生に一度しか受けられない、皆さんにとって大変貴重なものです」と言われ、初心者の私はなおさら緊張しました。
御導師が自分の背後に近づいてくると、目を閉じ合掌してお待ちします。頭におかみそりがあてられた時、自分が今、京都の本願寺にいることが夢の中であるかのように感じられ、そして何故か懐かしさを覚えました。そして最後に、新門さまから受式にあたってのお言葉を頂戴し、感激のうちに帰敬式は終わりました。

拝受した法名は、父が「釋証道」、私は「釋入真」でありました。ご門主さまの署名と押印がある仏弟子としてのわが法名を見て、「自分の道が定まった」ような覚悟と喜びがこみあげてきたことを今でも忘れられません。
本願寺近くの京料理「坂安」さんで昼食をいただいた後、ホテル近くを散策する人と観光バスで移動する人に別れて市内観光することになり、私たちはバスに乗り「天台宗青蓮院門跡」へ向かいました。

ここは親鸞聖人が9歳の時に得度されたお寺として有名です。四季折々に美しい姿を見せる回遊式の庭園もさることながら、いちばん大きな宸殿には「親鸞聖人お得度の間」があり、他にも得度の際に剃髪した髪を祀ってある「植髪堂」というお堂や、親鸞聖人のお手植えとも伝えられている京都市天然記念物の巨大なクスノキがありました。
青蓮院第三世門主の慈圓(慈鎮和尚)は、親鸞聖人の出家・得度に立ち会ったほか、平安時代末期から鎌倉時代にかけて日本仏教界に多くの功績を残しました。特に、専修念仏に対する弾圧から浄土宗の法然上人と浄土真宗の親鸞聖人を庇護していたことから、結果的に後の知恩院や本願寺の源流を作ったということもわかり、この静かに佇む青蓮院が大遠忌法要で賑わう知恩院や本願寺と密接なつながりのあった歴史に感心しました。

青蓮院は、1日目に訪問する予定が雨で変更になったものですが、私にとっては大遠忌法要や帰敬式を経験したあと、落ち着いた雰囲気の中で親鸞聖人のご恩に一層深く感謝することができて良かったと思っています。
この日の夕食は、「がんこ京都三条本店」さんで牛しゃぶを味わいつつ、皆さんと大遠忌法要の感想等を話し合いながら、楽しいひと時を過ごしました。


3日目

最終日は昨日までが嘘のような好天に恵まれ、眩いほどの朝日を浴びて気持ちよくホテルを出発しました。


二条城の付近を通ってバスガイドさんのお話を聞きながら「栂尾山高山寺」に到着。高山寺の金堂はお寺の名前のとおりとても高い場所にあり、前日までの雨もあって足元が悪く、参道の昇り降りに難儀されている方も多くいらっしゃいました。

パンフレットに出ていたように、この辺りの紅葉はすばらしいのだろうと想像しながら、嵐山高雄パークウェイを経て嵐山で昼食をいただき、渡月橋付近を一時間ほど散策して帰途につき、私たち参拝団は無事に旅行日程を終えることができました。


終わりに


平成23年4月に往生した母は、眞願寺さまとのご縁を通して、私と父を京都の本願寺・大遠忌法要へと導いてくれたように感じています。

実を申しますと、この旅行に参加しようと思った最初の動機は、大谷本廟へ母の分骨をし、追悼参拝してくることでした。
しかし、大谷本廟での納骨や参拝にとどまらず、親鸞聖人所縁の寺院、本願寺の御影堂と阿弥陀堂、750回大遠忌法要、知恩院と真宗各派ご門主のご焼香、帰敬式と法名拝受、京都の夜も含む市内観光等、少ない時間でたくさんの貴重な経験をさせていただいたことで、ここに書ききれないほど多くの想い出ができ、同行した父も「行って良かった、楽しかった」と言ってくれました。

ご住職が帰りのバスで「再び団体参拝旅行に行けるかもしれませんが、この同じメンバーで同じ場所へ行くことはないでしょう。それが一期一会です」と、お話しされていたことを思い返しますと、ご住職をはじめ、参加された皆さま方のおかげで、御恩報謝という言葉の意味に気づき、そして浄土真宗本願寺派門徒としての自覚に目覚めさせていただいた旅でした。

これからも眞願寺さまや御同朋の皆さまとともに、帰敬式で誓った三帰依文を胸に抱いて、お念仏を喜び感謝する人生を歩んでいきたいと思っています。

合 掌
釋入真(熊野智仁)

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