当寺縁起

昨年9月に修行されました開教百二十五周年慶讃法要にて住職が拝読された「表白」より抜粋し当寺縁起として山門横の掲示板に設置されることになりましたので、その全文をご紹介いたします。

顧みれば
明治初期豊平川が石狩川に合流する 対雁に本州より開拓のため入地し その後 江別屯田分隊の入植されたり 樺太からは移住殉難者百八戸が入地され 皆、故郷を離れただひたすらに 開墾の日々を送られたり 何もなき原野を風雪にも耐え開墾すること 今は想像することも出来ず ただひたすらに働き労苦の中で過ごされたり
時に
明治十五年樺太移民 指導者上野正氏という念佛者ありき 氏を中心に屯田兵有志ら相集い 寺院建立を札幌別院に懇願され 明治十七年八月 対雁村廣間と呼ばれし地に 本願寺札幌別院が対江説教所の仮坊舎を 建立し尊象を奉懸して称名念佛の燈火がともり 人々の心のよりどころとなれり
翌明治十八年十月 当別院に勤務せられし平田大意師 対雁村開教使として当地に赴き 開教にいそしまれたり
しかしながら
樺太移住殉難の人々 伝染病などにより一カ年に三百余名が 次々と犠牲となられ ただ涙と悲しみの中にあれり その葬儀等の法要を当説教所により修行され その後総墓管理を引き受けし後 土地の寄贈を受け坊舎を建立され 明治二十二年六月 眞願寺と寺号公称し開基住職としてその 職務を全うされたり
翌明治二十四年には 明如上人より「乗佛本願生彼國」の 御染筆をいただきその総墓に建碑され 以来その墓前法要は受け継がれ今日に至るなり
次に
平田大意師開教のため幌向をはじめ 旭川各地に赴かれ住職なき時 厚信の門徒相集い別院に懇願し 明治二十七年石堂廓然師を迎えられたり 師は日夜を選ばず 布教伝道の志をもって精進され 明治三十一年に 屯田兵村より敷地の寄進を受け 現在地に移転し堂宇を建立し 明治三十三年 住職に就任されたり
以来
今日を迎えるまでは 代々に幾多の困難な時代もあり 第三世廓也師・第四世廓悟師 それぞれ若くして往生されるや 坊守相続き往生され諸行無常の音ひびき渡り 正法宣流の志とぎれつつあるも 代務住職の教化をいただき 厚信の門徒時を選ばず寺に集い ただひたすらにお念佛の燈火を護られ 今日に至れり
時に
親鸞聖人七百五十回大遠忌法要を修行し 開教百二十五周年・寺号公称百二十周年を 機縁とし 千余の門徒相集い眞願寺奉讃会を設立し 本堂内陣伽藍の金箔押し極彩色工事をはじめ 念願の山門建立 鐘楼堂の移設大修復工事 第貳第参納骨堂の建立 総合納骨所「一處廟」の建立 境内地総合整備工事など すべて相整いこの慶讃法要を迎えたり これぞ門信徒の懇念一つになり成就したまいき まさに歓喜胸に満ち瑞風四方より至る
されば今日より
他力摂取の法悦をともにせん輩 すばらしき念佛道場に集い 朝には手を携えて門法求道の歩みを運び 夕べには念佛もろともに 法音宣流のわざにいそしみ 以て、法幢を万世に伝えつつ 如来大悲の恩徳に応まつらんことを敬って言す

平成二十年九月二十八日当寺開教百二十五周年寺号公称百二十周年
慶讃法要第五世住職釋了正表白より

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