お仏壇のあるくらし2

 石狩低地帯の泥炭層は、年々一粍ほどの成長を続けているそうですが、泥炭は植物遺体と学術用語でよばれているそうです。日本人が持つ感覚ではないかと、誇らしい思いが心を過ぎります。「悉皆佛性」すべての生物には、佛となる本性があるということです。
 ところで、食前の言葉に「みほとけと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。深くご恩を喜び、ありがたくいただきます」とありましたが、冒頭の「みほとけと」の箇所が、「多くのいのちと」に言い換えられました。いのちを深く考えさせられる切っ掛けを与えられました。
 過日、私は「ある精肉店のはなし」という映画を見てきました。牧歌的とも思われる題名ではありましたが、内容はすさまじいものでありました。
ハンマーで額をたたかれた大きな牛が、ころんと横倒しになるというショッキングなシーンではありましたが、たった数秒間に一つの生が終り、新しい価値が生まれ変わるところから、この映画は始まります。
 肉を店頭で買う私たちは、切り身しか目にすることはありませんが、目を背けてはならない場面から始まる映画は、牛の飼育から屠畜(食肉処理)、販売までを手掛ける家族経営の精肉店の日常を、差別の歴史を織り交ぜながら追っていきます。関西を舞台とするドキュメンタリー映画です。
 解体された一頭の牛は捨てるところなく、肉も内臓も手際よく処理されていきます。屠畜解体の包丁捌きや、家族の緊張した顔が印象的でした。また、皮から太鼓の皮が作られてゆく過程もありましたが、この地域のだんじり祭りの溢れるようなエネルギーを、少しは理解できたような気もいたします。
 生きてゆくために私たちは必ず他のいのちを殺め、そこに宿っているエネルギーを横どりしなければなりません。生きるとは命をいただくことであり、私の八十余年も、そうやって生かされてきたと、心底から思い知らされた映画でありました。
 「多くのいのち」と言い換えられた食前のことばを、深くかみしめる機会をいただいた、というひとときでありました。

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