食事のことばの普及について

投稿日:2018年3月16日

 私がこのお寺にお勤めさせて頂いてあっという間に2年目になりました。最近お寺で食事をご馳走になる時に私が「食事の言葉」を発声させて頂いています。きちんと「食事のことば」を申しますと食事がいっそう美味しく感じます。
幼い頃は難しい言葉は使えないので「いただきます」「ごちそうさま」しか言えませんでしたが、きちんと手を合わせ合掌し申しますと自坊の御門徒さんが誉めて下さいました。幼いながらもとても嬉しく、とても誇らしい気持ちになりました。
近頃、学校給食でお金を払っているのだから「いただきます」「ごちそうさま」とわざわざ言う必要が無いと苦情の電話があるそうです。しかしお金を払ったからといって感謝の気持ちを表現しないで良いのでしょうか?驚くばかりです。
皆様の御家庭では「いただきます」「ごちそうさま」という言葉がきちんと伝わっているのでしょうか?浄土真宗では「食事のことば」を食前食後に申しています。今一度、「食事のことば」を学んでみたいと思います。

食前のことば
『多くのいのちと、みなさまのおかげにより、このごちそうをめぐまれました。深くご恩を喜び、ありがたくいただきます。』
私たちの日々の食事は多くの動植物のいのちの犠牲の上に成り立っているのであり、そのいのちへ感謝と慚愧を明らかに示すことになります。私たちは多くの尊いいのちによって、今の自分が支えられている「おかげ」に気付くことで、感謝の心が育まれることでしょう。
※「慚愧(ざんぎ)とは自分自身の罪に恥じる心」
食後のことば
『尊いおめぐみをおいしくいただき、ますます御恩報謝につとめます。おかげで、ごちそうさまでした。』
「食前のことば」をとおして、私たちの食事はさまざまな尊いおかげによって成り立っていることに気付かされます。そして「食後のことば」では、この食事に対して、深い感謝の念を表すとともに、多くのいのちの「尊いおめぐみ」を糧にして今の私が生かされていることが示されます。
「御恩報謝」とは、仏さまから救いの目当として願われていることへの、返しても返しきれないほどの大きな仏恩に対し、不断の努力をもって報謝の生活を送ることです。「食後のことば」では、「御恩報謝」と口にすることで、そのことを再認識し、報謝の生活を送る決意を表明しています。
※本願寺「食事のことば」解説より


皆さんも是非ご自宅で「食事のことば」を申し、日々の食事に感謝し、「御恩報謝」して頂きたいと思います。眞願寺では「食事のことば」の卓上カードを配布しています。是非御家庭でお使いください。

法務員 釋真哉 竹澤真哉

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