40号発刊に感謝して

投稿日:2016年9月1日

40号発刊に感謝して

住 職  釋 了 正

本願寺西山別院に奉職させていただいた5年間に、何とかご門徒さんと別院とのご縁を深くしていただき、法要行事の参詣の方を増やしていけないかと当時の御輪番に相談し、『御坊さん』という寺報を発行させていただくことになりました。3号まで発行させていただいたと思います。03-01
今はもう懐かしい25年ほど前のことです。そしてご縁をいただき平成6年に眞願寺の住職を拝命し、本堂の新築落成法要・住職継職法要が修行されました。そのご法要で、眞願寺の門信徒皆様がどれほど信仰を通し、お寺へ親愛なる思いをいだいているかということを知り、深く感銘させていただいたことです。「この素晴らしい門信徒皆様の思いを消してはならない。そして後世に受け継いでいかなければならない。」
と住職としての志を新たにさせていただいたことです。
 その思いの中で、総代役員皆様のご理解をいただきはじめさせていただいた取り組みは、伝道教化の両輪でした。その一つが西山別院時代に学ばさせていただいた寺報によるお寺とのご縁を結ぶ文書伝道でした。もう一つが男性門信徒の皆様にお寺とのご縁をより一層深くしていただき、異業種の方々がお寺に集い、み法の友の輪が広がることを願い、佛教壮年会を発会し、佛教婦人会とともにお寺を支えていただくことでした。振り返ってみればこの両輪とも、実家の東京明西寺においても、父が初めた教化活動でもありました。いつも父に反発しながらいた私でしたが、しっかりと私に思いが伝えられていたのかもしれません。その父がいつも真剣なまなざしでご本堂の佛花を生けていました。花瓶を洗う手伝いをさせられるのが嫌いだったので、全く興味なかった私でしたが、今は住職講座で皆さんに指導している自分に気づかされることです。今更ながら父に感謝しつつ、大阪にいる愚息の姿を思い起こすことです。
03-02
 そして平成9年3月1日に創刊された寺報「響」も今号で40号となり、20年間続いたことになります。佛教壮年会も平成8年2月に発会して今年で20周年となりました。ここに多くの関係諸氏に心より御礼申し上げます。
 その創刊号の挨拶には、「門信徒の皆様とともに、みほとけのみ教えをいただき、自分を見つめることによって蓮如上人五百回遠忌法要のスローガンである『できることから始めよう』を見い出していきたいものです。この寺報がそんなきっかけになればと念願いたします。」と書かれています。その初心に返りつつ、今後も時代の流れに即応した伝道教化を模索しつつ、寺報「響」を充実かつ後世に受け継いでいきたいと思います。
 最後になりますが、創刊より編集長として今日までご尽力いただいています衆徒の鈴木彰様に心より感謝申し上げます。また創刊当時お世話になった河合紘征氏、河合輝子氏、現在編集委員として尽力いいただいているご門徒の石垣巧氏、白道印刷の藤丸氏、そして原稿を寄稿いただいた多くの皆様に心より感謝申し上げます。
(佛教壮年会につきましては記念事業がすべて終了してから、次号にて特集させていただきます。)

40号発刊にあたって

編集委員長 釋 彰 響(鈴 木 彰)

04-01
 一人の丸々と太った男の子の笑顔の写真が、創刊号(第1号)に載っております。そしてこんな添え書きがあります。
「みなさんかくじょうです。12月で2さいになりました・・・」と。私などから見れば、今は仰ぐほどの偉丈夫の、たくましい好青年、21歳になった郭成くんです。まさに寺報創刊より、20年が経過したことになります。時の流れを痛切に感じさせられる次第です。
 創刊号の発行時期は、平成9年3月1日となっておりますので、おそらくその2・3か月ほど以前の頃と思います。04-02
庫裡に集まったのは、住職と河合紘征・輝子さん夫妻、鈴木の4名でありました。この席上で、かねてよりの念願であった寺報発刊の熱い思いを住職から聞かされました。もっとお寺を知っていただきたい。気軽に法座に参加していただきたい。そんなきっかけになればとの願いから、読みやすく、親しみやすい寺報を目指していきたいと。そんな主旨の挨拶であったように記憶しております。震えるような感動で河合さん夫妻と、手を握りあったものでした。
 なお、寺報創刊の経緯につきましての詳細は、浄土真宗本願寺派広報誌『宗報』と、『本願寺新報』、寺報『響』6号に掲載されております。
 発刊にあたっては長く継続させるためにも、春(3月1日)秋(9月1日)の年2回にし、誌面はB4版の白黒、写真を多用し、何よりも読んでいただけるような寺報であるよう心がけてきました。
 創刊号を発行してから20年の歳月が経過し、発行号数も40号となりました。感慨無量のものがあります。1号から4号までは、白黒のページでありましたが、5号から一部カラーとなり、21号まで続きました。その後は全面カラーとなりました。版型も1号から14号まではB4版、その後は現在のA4版となりました。05-01
 表紙を飾る写真と巻頭の文章は、創刊号より欠かすことなく住職の担当であり、季節感あふれる写真と共に、問題意識を問われるような文章に、己の浅ましさを痛感させられます。また、心をやわらかく包み込んでくれるような「坊守のひとりごと」も次作が待たれる、そんな作品であると思います。「わが家のペット」紹介は、人と動物との心の交流のやさしさにふれるような写真と文章であり、毎号が楽しみの連載です。犬や猫などの生死の問題なども、もっと語られるきっかけになればと、そんなことを思うのは私だけでしょうか。
 いままでに連載された記事を紹介しますが、今後の連載記事等についての要望をお聞かせ頂ければ幸いです。
知ってますか」1号から17号まで
図書室だより」7号から17号まで
眞願寺の古きをたずねて」24号から30号まで
親鸞聖人」22号から26号まで
お佛壇のあるくらし」34号から38号まで
 もう一度お読みいただけたらと思う題名を記してみました。(欠号もありますが、残部僅少あります)
佛旗「六金色旗」について(39号)
戦後70年に思う(38号)
東日本大震災被災地支援(34号・35号・37号)05-02
築地本願寺と明西寺参拝・桜鑑賞の旅に参加して(36号)
住職講座「佛花の立て方」(36号)
門徒推進委員中央講習を受講して(35号)
鐘を撞く(35号)
春の彼岸①②③(34号)
町探検で眞願寺を訪問-江別小学校(34号)
札幌組「壮年の集い」に参加して(34号)
御門徒様よりの手紙(33号)
「お盆」を終えて(32号)
第4回眞願寺杯パークゴルフ大会(32号)
江別第一中学校吹奏楽部本堂で夏期練習(32号)
対雁の碑(32号)
大遠忌参拝旅行特集(31号)  以下省略します。
 多くの方々のご指導とご協力により、この40号発刊まで漕ぎつけることができました。
執筆や校正、写真提供や取材協力、発送作業など、どれほどの方々の協力があったものか、また目に見えないとろでのお力添えなど、感謝の心でいっぱいになります。また、懇切なご配慮を頂きました白道印刷所様には厚く御礼申し上げます。
 現在、寺報の編集発行に直接携わっていますのは、住職を陣頭にご門徒の石垣様、衆徒の鈴木が担当いたしております。40号の発行を喜びとし、皆様のご協力の下、今後さらなる紙面の充実に力を尽くして、邁進いたすつもりでおります。
 最後になりましたが、親鸞さまの信心の姿についてのお言葉をもって、この文章を締め括らさせていただきます。
 「古き生命に死して、新しい生命に生れるという。このことを繰り返し、繰り返し、すなわち何度も何度も脱皮しながら成長していく」そのことが信心の姿だと申しております。ありがとうございました。ありがとうございました。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください