新緑と色それぞれの花が咲き、すばらしい季節を迎えました。
境内に20本以上あるつつじや皆さんで植えていただいた花々もそれぞれの色と形で、すばらしいいのちのいとなみを楽しませてくれています。
赤い色の花は赤い色のすばらしさ
黄色い色の花は黄色い色のすばらしさ
緑の新緑は緑色のすばらしさ
青い空に白い雲は青と白のすばらしさ
そこにはそれぞれのいのちの尊さを
それぞれの色が私に語りかけてくださっているようです。
つらく悲しいことも多い私のいのち
だからといいつつも
誰にもかわってもらうことの出来ない私のいのち
だからこそ、誰とも比べることの出来ない
すばらしい色で咲きましょうよ
きっと
大空と太陽とこの大地が私のいのちと
ともにひかりかがやいてくださるでしょう
北国も例年より早いお花の季節を迎え、境内にも紫つつじを初め桜、梅、木蓮、そして草花が、咲き競いあっているように、おひ様めがけて咲いています。新しい参門の脇には寄贈いただいた赤松が植えられ、一層すばらしくなりました。そんな山門近くには去年の工事でほとんどなくなりましたが、残されていたしば桜がさき、なぜかアスパラも元気に伸びています。
そのアスパラですが、、、。あまりにもおいしそうで、、、。昨晩ベーコンと炒め塩こしょうて、いただきました。もぎ取ってしまうときは、罪悪感でとまどいましたが、とってもおいしかった、身勝手な私でした。せめて「アスパラさん。あなたのいのちをありがたくいただきました。」と心をこめて、手を合わせ「ごちそうさまでした」と申し上げました。いのちの恵みに感謝し、いかさせていただきましょう。
どっかと降り積もった雪も、暖かな春の光に照らされ、一滴いってきと大地にしみこみ、いのちの芽生えをうながしているようです。
私のいのちも、ご先祖のおみちびきと阿弥陀様の「わかっているよ、そのままでいいよ」というお心によって、いずれ「きよきふるさと・お淨土の大地」へと数え切れない煩悩もとけて、永久のいのちの一滴となってしみいるのでしょう。
その準備がいつでも出来上がっている私に気づいたとき、ただただ、お念佛があふれてまいります。
秋の晴れた日、デジカメを右手に境内の工事現場を歩いていると、目の前で草花にきれいな羽根の“くじゃく蝶”がとまった。その瞬間を「チャンス!」ととっさにシャッターを押した。
後でパソコンで見てみるとブレもなくなかなかの出来であると、我ながら満足していた。それをもっと拡大しよくよく見てみると、驚いたことにその左横に、まるで蝶が蜜を吸い終わるのを待っているかのような小さな蜂も写っていた。きっと蜂独特の飛びながら制止していたのだろう。カメラの性能の良さに驚くのと同時に、最近私の目も悪くなったのも原因だろうが、自分の視界に入っていても見えていないものが多いことに気づかされる。お花と蝶と蜂、そしてお花が根を張る大地・・・、すべてが関わりを持ちながら、共存しているのだろう。
家族も夫婦も親子も、そして人はみな不思議な「ご縁」によって出会い、お互いの「いのち」を認め合い、助け合いながら生きてゆく。身近な家族から世界中の人類までが「ともにいのちかがやく世界」をめざし、共存出来る社会を築いていかなければならない。ひとりで生きていける人間は誰もいないのだから。
日本画院展に入選された作品「寂(じゃく)」を、当寺の門徒蟹谷洋子さん(野幌町)が眞願寺に寄贈された。紫陽花のすばらしい色合いの中、山寺の山門を遠くに見つめながら、一段一段向かっていく自分の姿が見えてくるようだ。
普段の生活で寂静とした時間を過ごすのは難しいが、山門を通り浄土の世界であるお寺の境内に足を踏み入れ、ご本堂の阿弥陀如来の御前にひざまずき、静かに手を合わせると、おのずと寂静の中に涅槃の世界が自然におとずれてくる。そんな寂静とした世界がこの山門の先に広がっているのだろう。
眞願寺は開教125周年を記念し山門が建立されます。その山門の向こうから、いつまでも慶びのお念仏の声が響いているよう、そして一人でも多くの方にこの門をくぐっていただき、寂静の世界を味わっていただけるよう、願うばかりです。
父を思うとき おこられると震え上がった時を思い出す
父を思うとき 一緒に大声で笑ってくれた時を思い出す
父を思うとき お酒に酔ったうれしそうな顔と大声を思い出す
父を思うとき 頭と顔をいたいほどなでてくれた時を思い出す
父を思うとき 数え切れないほどはむかってきた自分を思い出す
父を思うとき 一緒に泣いてくれた時を思い出す
父を思うとき 私のことで先生に頭を下げてくれた姿を思い出す
父を思うとき 見えなくなるまで見送ってくれたあの時を思い出す
父を思うとき 「ありがたいのう。なんまんだぶつ」の声を思い出す
父を思うとき 「もったいないのう。なんまんだぶつ」の声が聞こえてくる
父を思うとき うれしくてうれしくて涙が止まらない。
父を思うとき あなたの子供に生まれて本当によかったと思う。
お父さんありがとうございました。あなたが大好きです。
コップにつがれた水が、いっぱいになってあふれ出る様に、私のからだ隅々まで阿弥陀様のお心は、お念佛「南無阿弥陀佛」となっていつでもどこでもいっぱいに届いてくださっています。そして私の口からあふれ出てくださいます。それが「称名念佛(しょうみょうねんぶつ)」です。自分の力や意志で称えている様にも思えますが、阿弥陀様のお心が「いつでもいっしょだよ。あなたをはなさないよ。」と届いていなければ、称えようとも思わないでしょう。
「おかあさん」と母をよべるのは、母の慈愛に満ちた心が、私に届いているからでしょう。私が「この人が母なんだ」と気づく前から、幼い頃べそをかきながら「おかあさ〜ん」とよぶ前から、母のおなかにいのちが芽生えた時から、私を思い続けてくださっています。
亡くなられた方のお名前が口から出てくるのも、み佛となられてからも私を思い続けてくださっているからでしょう。そんな時に静かにお仏壇の前で手を合わせると、「あなたにもお念佛がとどいていて下さるよ。気づかさせていただきなさいよ。ほら、あなたのその口からお念佛があふれて・・。ありがたいね。」ご往生された方の声が、心に響いてきます。
平成17年10月26日 江別まとい会主催による消防関係物故者追悼法要が当山本堂にて厳修されました。ご遺族の皆様、そして市長はじめ多くのご来賓の皆様と、故人のご遺徳を偲び、そなえある社会をきづいていこうと、心新たにさせていただきました。
私たちはいざ災害に遭うと、人は誰も助けてくれなかった。とか、行政は・・・、そして国は・・・、と身のまわりの助けを要望し、又それがかなわなかったときは、そんな思いになりがちです。でも、本当の災害とは、役所も消防もそして国も、みな被災していることだってあり得るのです。それを思うと先ずは私に災害の備えが、今、どこまでできているか。大地震が今おそってきたら、どうするか。そして、家族の無事が確認されたらどうするか。そこを考え準備するべきでしょう。
何が起きるかわからない。それがこの娑婆世界です。諸行無常の世界だからこそ、これで十分だとは、いくら準備してもいえないのではないかと思います。
当寺も江別市から緊急避難所に指定されております。避難所として、最低限できうる準備をさせていただき、そして門信徒の皆様や地域の皆様が、災害時に避難所や連絡場所となり得る様、心がけていきたいと思います。そして、門信徒の皆様や地域の皆様には、家族や両隣の皆様の無事が確認できれば、お寺においでいただき、緊急に避難されてきた方々の「避難所・眞願寺」にご協力下さい。
どうぞ皆様、心身共に「そなえよつねに」をモットーに助け合える社会を作っていきましよう。それは一人ひとりの心がけ次第です。
平成17年11月
釋了正
大正初期に建てられた眞願寺の鐘楼堂は、築90年を超えます。この度の事業の基本計画の時に現状調査を行いました。基礎や台座、屋根などもいたみが激しく、補修工事が必要と言うことですが、柱や紅梁などは「自然乾燥によるヒビ割れや多少の変色はあるとしても、しっかりしていて腐蝕している部分もない。」と言う報告でした。 これだけの風雪に90年以上もさらされながら、柱や紅梁が「しっかりしている」のには大変驚きました。今日の技術では、これだけ耐久性のあるすばらしい鐘楼堂は出来ないのではないかとも言われました。現在の鐘は昭和36年にお迎えした2代目で、初代の鐘は384sで、昭和17年に戦争で供出しています。
元来お寺は、地域の集いの場所であり、時をつげる鐘があり、この世に生まれてから、お浄土に往生させていただくまでの人生の節目の法要や儀式を送るところです。 又み佛の教えを聞き、私の心のよりどころでもあります。いつの頃からでしょうか、お寺はお葬式と法事をする場所、線香くさいところと言われはじめたのは・・・。
来る平成20年には当寺の開教125周年慶讃法要を迎えさせていただきます。長い歴史の中でご苦労された多くの先人に感謝させていただくことは当然のことですが、本来のお寺のあり方を問い、現代の社会の中でも、「心のよりどころ眞願寺」と言われるようなお寺を、誰でもが気軽に訪れていただけるお寺を目指したいと思います。
現在眞願寺の鐘は「集会鐘」が諸行事の1時間前に十打、「さあ、ご法座がはじまりますよ〜。集まってくださ〜い。」の意味で打たれます。この鐘の音が十方に響き渡り、たくさんの方々がこの門をくぐり、ご法座にあわれますよう願ってやみません。
平成17年11月

戦没者追悼法要のようす
10月8日午前10時より眞願寺に於いて、江別市遺族会主催の戦没者追悼法要が、市内有縁寺院の御住職ご出勤のもと、江別市長はじめ、多くのご遺族と共に営まれました。
戦火の中で亡くなっていかれた多くの方々に心から追悼の意を新たにさせていただき、過去の大戦を二度とくり返さないことを、御尊前に申し上げさせていただきました。
過去の大戦の戦火に赴いていかれ、犠牲となられた方はもちろんのことですが、国や民族を越え、すべての戦争を縁として亡くなっていかれたすべての方々の犠牲者の「いのち」を悼み、合掌させていただきました。
「いのちの尊さ」を国境を越え、政治や宗教を越え、人と人がお互いに認め合ってゆける社会を築いていくことが「平和な世界」への大切な志だと思います。
反省とともに「いのち」のすばらしさを伝えていかなければと、心新たにさせていただきました。
平成17年10月
よく、お寺参りをさそうと、「不信心だから、どうも…」という理由で行けないという理由にする人が多い。では、「不信心」とはどんな意味だろう。広辞林には『神仏を信ずる心のないこと』とある。言い換えれば私が信ずる心を持っているかどうか、持っていなければ「不信心」となるのだろう。

眞願寺境内の親鸞聖人石像
浄土真宗の「信心」を親鸞聖人は「真実信心」とおおせられた。その意は私の信心ではなく、如来様よりいただく信心である。ゆえにそこには私の「信」や「不信」を問題にしているのではなく、私の思いではなく阿弥陀如来のお心そのものを「信心」とし、「必ずあなたから離れぬぞ。どんなことがあろうと、見捨てぬぞ。必ず佛にするぞ」という如来の変わることのない私へのお心をいう。変わることがないからこそ「真実の信心」と言えるのだろう。
「信心」とは自分でするのではなく、いただくものなのだろう。自分で信心しなければ…と思えば大変な修行が必要になってくるだろうが、そのままをいただくのであるから、難しい問題はなにもない。如来の真実信心に「ああそうですか。ありがとうございます」と、すべてをおまかせし、如来様とともに生かさせていただくのである。
耳を澄まして効いてみよう。阿弥陀如来が私をずっと喚んで下さっているそのお声が、きっと響いてくるだろう。
ナモアミダブツ なもあみだぶつ 南無阿弥陀佛
平成17年3月
台風18号が9月8日朝、北海道に猛威を振るいました。雨は少なかったが、猛烈な風で、身体ごと吹き飛ばされそうだった。札幌では最大瞬間風速50メートルを上まわったようだ。当寺にある江別市の保存樹木に指定されている銀杏の木が、その風にあおられ、外に出てみると、今にでも風で根こそぎ倒れそうな感じがした。「しかし、まさか。」と思いつつ、カメラのシャッターを押した。そんな私の身体にも木っ端や葉が容赦なく吹き付け、「こりゃたまらん。」と庫裏に入り、本堂を見回ろうと廊下を歩いていた。そんな時、表で「ドッターン!ドドーン!」と地響きの様な音が2回した。
なんだこの音は!窓から境内をみると、私が5分前に見上げていた場所に、その銀杏のシンとなる幹が地上8メートルほどのところから見事に折れ、地に横たわっていた。「ほんとに・・・折れた!」と呆然とした。もし、5分前に折れていたら・・・。近所の小学校では、太い樹木が何本も根こそぎ折れ、中学校では屋根が吹き飛んだらしい。北海道を始め全国でも死傷者が多数でたようである。
台風災害にあわれた皆さん。こころよりお見舞い申し上げます。一日も早い復興を念じます。
普段、わがままな人間の災害にあいっぱなしで、ゴミと公害だらけになってしまった大自然の地球さん。その原因はすべて私です。ごめんなさい。この住んでいる土地も、私達の土地であるけれども、それは大きな私の錯覚で、決して私のものではありませんでした。あなたの一部をお借りして、使わさせて頂いていたんでした。
そのことさえも忘れ、台風や噴火、そして地震だってあるのがあなた自身なのに、それを知っていながら、あなたに住まわさせて頂いているのに、たまたまなにかがあると災害だ震災だと言われれば、本当に気の毒ですね。
でも、なかなかそうは思えない自己中心的な私です。本心を言えば、地球の大自然の営みよりも、90年眞願寺とともに歩んできた銀杏の幹の方が、痛ましいです。そして、出来れば台風に来てほしくはなかった。私の住んでいる上空だけは。
…地球がなければ眞願寺も私もないのに、勝手なモンです。そんな私はやはり凡夫の中の凡夫ですね。
平成16年9月12日
ついに東南アジアで流行している鳥ウイルスが九州地方で発見された。日本では輸入が規制されてはいるが、渡り鳥が感染源として見られている。さすがに渡り鳥までは規制出来ないのか、詳しいことはわかっていないらしい。その鳥からぶたへ感染すると、そこで又新たなウイルスが発生しうるそうだ。毎年冬季に人間同士で感染しているインフルエンザも、実は渡り鳥が運んでいるらしい。
昨年はアメリカでBSE狂牛病が発見され、アメリカからの牛肉の輸入が規制された。その影響で今年の2月は大手の各牛丼店で、牛丼の販売が出来なくなった。「牛丼店」で「牛丼」が食べられないという、私個人としては何とも悲しい出来事である。
先日のテレビでは「鳥ウイルス」に感染しているとみられるにわとりが、生きたまま、燃やされている映像や、生きたまま埋められている映像が、映し出された。これを見た人は、どう感じたのだろうか??「もったいない」なのか「かわいそう」なのか、それとも「しょうがない」なのか…。どれも人ごとにはちがいない。ある人がその映像を見て「食べられないからって、殺さなくってもいいのに…残酷だよね。」と。じゃあ、自分が鳥ウイルスに感染してもいいのか…。
家畜として生まれてきた動物たちは、人間に利益を与えられなくなれば、生きている意味がない。たしかに、それは正しいかもしれないが、どういう状況や因縁で生まれてきた家畜や動物にも、意識はある。いやなものは「いや」と意思表示をする。そしてみな尊いいのちをさずかっている。
このまま、輸入の規制が長引けば、おのずと「うし」と「とり」がだんだん食べられなくなるだろう。そうなれば、「ぶた」が今まで以上に、流通するだろうし、値段も上がってくるだろう。それもしかたないのか…。
カレーライスはなにが好きですか?「ビーフ」?「ポーク」?それとも「チキン」?と聞かれたら、あなたはどう答えますか?私なら…「ビーフ」がすきですが、今はしかたないので、「ポーク」を食べています。と答えてしまいそうです。でも、「ぶた」だっていつまで大丈夫なのか…。
「うし」と「とり」と「ぶた」に聞きました。「一番嫌いな生き物は何ですか?」声をそろえて、答えました。「僕たちを自分の都合でどうにでもしてしまう、『人間』です」と。
ふと、思い出した。夏のキャンプで楽しんだバーベキューの時、大切な肉たちを食べきれず炭のようにこげて捨てたのは、私だった。平成16年2月
「人道的復興支援」の言葉のもと、毎日テロによる死者が絶えないイラクへ、武装した自衛隊の派遣が始まった。雪の北海道旭川で「日の丸」の小旗が振られる中、イラクへ赴く隊員達が、出発した。
その光景をテレビで見た私は、50余年前の「日本」を想像した。学徒動員・「お国のために命をささげ…」そんな時代だったのだろう。この出発していかれた、自衛隊隊員は、どんな思いで日本を後にしたのだろう。そして、自分のいのちを守るためには、他のいのちをもうばう覚悟があるのだろうか。「人道的復興支援」の「人道」とは、その敬意がどうであれ、人のいのちを奪うことにもなる。そうともいえるのでは…
「平和」を願い国際協力や日米同盟、イラクの復興だけが表に表れているが、その裏側に存在しうる事実をもっと見つめるべきではないか。機関銃をもっていがみ合い、殺し合いをしても、真の平和は決して訪れることはないだろう。現代日本はとても幸せの世の中に見えるが、50年以上前に亡くなって逝かれた多くの戦没者の家族は、今日も悲しみの中で日々を過ごしている。その人達には、自衛隊の出発はどう見えたのだろう。
銃をすてて、お互いの手を握り合い、お互いをみとめあう。そんな時代を願い、今私に出来ることを考えていきたい。宗祖親鸞聖人が残されたこの言葉を思い出す。「世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」と。
平成16年3月1日
今年7月、本願寺第8代宗主蓮如上人の御真筆六字名号(南無阿弥陀佛)が眞願寺で発見された。
五百年以上の歳月を経たこのご本尊、蓮如上人がお書きいただいてから、どんな場所で、どんな方々が、どんな思いで、この六字を拝し、手を合わせてこられたのだろうか。
数え切れない多くの先人のご苦労を偲び、今、開教百二十年をむかえた眞願寺のご本堂に秋の報恩講で御安置させて頂き、遠く宿縁を喜ばさせていただきたい。
「ねてもさめても、いのちのあらんかぎりは、称名念佛すべきものなり」とおおせられた蓮如上人の声が、五百年の歳月を超えて響いてくる。
平成15年9月1日
手の平を太陽に すかしてみれば
真っ赤に流れる ぼくの血潮
みみずだって おけらだって アメンボだって
みんなみんな 生きているんだ 友達なんだ
私達の生きている地球には、人間だけが生きているのではない。
ありとあらゆる生き物によって、自然が成り立ち、自然の中でこの私のいのちが生かされている。
「自然」とは、そもそもどんな意味だろう。広辞林には「作為の伴わないさま、人工によらないで成り立っているさま。ありのまま。」とある。
私達の生活している環境は、不自然そのものであり、それを作ってきたのも私達だった。そして、益々不自然の環境をエスカレートさせている。
「たまちゃん」の瞼に刺さった釣り針をテレビで見て、かわいそうに…なんとかならないのかと日本中が一喜一憂していた。
その反面、私達は人間以外の動植物たちを、少なくなれば保護し、多くなったら捕獲して殺し、天然記念物にしたり、邪魔者したりする。
人間以外の動植物から、「この地球で同じ時にいのちをさずかった友達じゃないか、もっと仲良くしようよ、人間のために生きているんじゃないよ。」こんな言葉が聞こえてきそうだ。
手つかずの原生林に戻すことはどう考えてもむずかしいが、これ以上不自然をエスカレートさせるのは、やめなければ。いっしょに生かさせていただいている、友達を裏切らないためにも…。
法にあわさせていただくことは、自己を見つめていくことです。眞願寺で本当の自分に出会いませんか。
平成15年5月
あらゆる戦争に反対いたします。
「天上天下唯我独尊」天にも地にも我一人尊しとおっしゃった釈尊の意味を味わえば、この世に自分と全く同じ人間はいないということでしょう。だからこそ、私のいのちは尊いものだ、ということだと思います。それは全人類に同じことが言えます。宗教的に考えても、自分たちの教義などの都合によって、戦争やテロを起こしていいというものや、戦争を美化し神からの祝福を期待することは、非常に嘆かわしいことです。
時に今日は春の彼岸を迎えさせていただいています。ともにいのちの尊さを認めあい、銃を握りしめるのではなく、その手から力を抜き、自己を振り返りつつ、合掌させていただきましょう。
平成15年3月19日
9月19日報恩講「ともしびの集い」にお詣りいただいた二人が、手にともしびをいただいて…「おばあちゃん、このおあかり、どこにもっていくの?」「これはねえ、のの様におそなえするのよ。さあ、気をつけて、ちゃんと持って、いっしょにおそなえしましょうね。」「うん。そぉっとだね。」…「おじいちゃんも、おばあちゃんも、お父さんも、お母さんも、妹も、そして僕もみんな佛様の子どもだね。」「そうよ、やさしい佛さまのお顔をよく見てごらん。ぼくをいつでも見つめてくださっているわよ。手を合わせて、さあ、おまいりしましょ」「うん。ののさま、ありがとう。」「なまんだぶ…なまんだぶ…」写真からそんなあたたかな会話が、響いてきそうですね。
平成15年3月 寺報「響」
≪写真は安孫子喜一君≫
自分の両親が2人、祖父母が4人、曽祖父母が8人・・・10代さかのぼると実に2196人、1098組の先祖の方々が私にはいたことになる。その中で一組でも結ばれなかったのならば、今の私は存在しない。そう考えるとこの私も多くの先祖の方がいらっしゃったのかと、多くのいのちの流れをいただいた私だったのかと、不思議な思いになる。
みほとけの国においでになる多くの方々が、この私に願っていることは、ただ一つ。
「仏法にあえよ、あわさせていただけよ」と。
心静かに耳を澄まして聞いてみよう。このお寺を守り続けてこられた私の先祖の願いが、この鐘の音となり時代を超えて心に響いてくる。
平成14年6月 寺報「響」
≪写真は眞願寺蔵 方便法身尊形 阿弥陀如来像≫
佛教の教えに[四苦八苦]という言葉がある。私が生きていく中で必ず出会う苦しみを、お釈迦様がおときくださった言葉である。その中で愛別離苦(どれほど愛する者であろうとも、離れ別れなくてはならない)を死別という悲しみを通し、味わうことは死んでいく者も看取る者も、できれば避けたいことであるが、なかなかそうはいかない。
そんな私に阿弥陀様は、また会うことのできる世界をご用意してくださった。そこが[西方浄土]であり、そこには死んでいくのではなく、往き生まれさせていただき、先に往かれている方々との再開が約束されている。
誰しも死に急ぎたい者はいないが、お互いにやがて来る別れも、どちらが先になろうとも、お念仏をいただき、またお浄土で再開できると味わえばただの別れではなくなる。また会えることのできる別れを、お互いにお念仏を通し語りあえれば、これほどすばらしいことはないのではなかいか。赤く染まった西の空から、心にそう響いてくる。
平成13年9月 寺報「響」
≪写真は原利文氏撮影 12号線江別新橋≫
茨城県八郷町・板敷山のふもと、大覚寺の前で、眞願寺参拝団みなそろい、記念写真を写した。暖かないろりを囲んで住職の留守を預かる坊守様が、心こもるおもてなしをしてくださった。
親鸞聖人が稲田の草庵に20年間おいでになった頃、山伏弁円が聖人の抹殺を試みて、この板敷山に待ち伏せしていたという。自分のとく現世利益をたよるものが、日に日に減少し、このままではどうにもならぬと、意を決したそうだ。「にくき親鸞」だったのだろう。しかしその待ち伏せもからぶりばかりで、我慢ならない弁円は、とうとう稲田の草庵を襲撃に向かったが、親鸞聖人の尊顔を見るなり、すぐさま刀をすててひれ伏し、弟子になったそうだ。
どれだけすばらしいお姿をなさっておられたのだろう。その後、法名を明法房といただき、念仏一筋に生き抜かれた。そんな彼がのちに訪れたとき歌ったのがこの歌であろう。
五郎柿、お餅、里芋・・・いろりでいただいた暖かなぬくもりをいっぱいに心に詰めて、薄暗くなってきた大覚寺を出発した。ガイドさんが「あら!門の前でお見送りですよ!!」振り向くと、いつまでもいつまでも手を振る坊守様が小さく見えて、そのぬくもりが目までも潤ませた。
「またおこしなされ!一筋にお念仏を喜んで、いつまでも幸せに、また会いましょう!」まるで、その遠くに手を振る坊守様が、そうおっしゃっているように響いた。そのお姿に、ただただ頭が下がった。
≪題名は弁円ざんげの歌≫