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樺太移住殉難者墓前法要が行われました。(6月20日)

6月20日午後2時 江別市営墓地やすらぎ苑
 このご法要は、明治8年、千島樺太交換条約の締結によって、樺太に住まわれていた 108戸 841名の方々がこの対雁の地に移住を強いられました。その後この地方で1886年より1887年(明治19年より20年)にかけて、天然痘やコレラなどが大流行し、集団生活を強いられてきた方々はたちまちに伝染し、全住民の半数近くの方々が亡くなりました。国と国の領土問題が発端となり、強制的に移住せられ、慣れない土地で集団生活を強いられ、犠牲となられていったのです。きっと、悲しく、つらく、我が身にもいつ伝染するかわからない恐ろしさの中で、日々過ごされたことでしょう。
 当時、その亡くなって行かれた方々の追悼を懇願され、その対雁にあった本願寺札幌別院対江布教所(現在の眞願寺)おいでになり、その多くの犠牲になられた方々の葬儀・追悼を行ったことがご縁となり、眞願寺には現在もその犠牲者全員の過去帳が保管されています。すべての方に法名が授けられ、ご往生の年月日もきちんと記されているます。
 前住職の時代に、その過去帳があることを御遺族に申し上げ、墓前法要が毎年勤まるようになったのです。その「対雁の碑」には『乗佛本願生彼國』と刻まれ、本願寺明如上人の御染筆によるものです。本願寺としても大変な事態として、ご門主自ら筆を執られたのでしょう。
 その碑を前に、今年も御遺族の皆様をはじめ、江別市、眞願寺役員、関係諸氏市民が集い、その多くの犠牲になられた皆様に哀悼の意を表し、真の平和と平等を考えつついまなお続く多くの領土問題などを自己を見つめつつご法要をお勤めさせていただきました。特にに今年は教区(本願寺派北海道教区)の役職者皆さんも参詣されましたことはとても意義深いご縁となり、今後もこのご縁が広がればとありがたく存じます。
 そして現在も問題になっている北大をはじめ各大学にある犠牲者の遺骨返還についても、国など関係機関との話し合いが進むよう、協力していきたいと思っております。当日は午後2時の法要に引き続き遺族主催の墓前祭(樺太アイヌ式)が行われ、その後眞願寺でも懇談会が行われました。
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樺太移住殉難者墓前法要が行われました。(6月21日)

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長く続いたエゾ梅雨も一段落ついたのか、21日は久しぶりのいいお天気になりました。境内も青空とともに新緑も美しく輝き、初夏を感じる様になりました。

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5月に植えていただいた境内のプランターの花々も、だいぶ大きくなり、参拝にこられた方々をお迎えしています。新緑とあわせてとてもきれいですね。

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昨年設置した小鳥の巣箱には、2カ所でコムクドリが子育て真っ最中です。せっせと餌を運び、カラスなどの天敵も多い中、一生懸命に雛を守り育てています。

DSC07683 江別市対雁は元々眞願寺が明治17年に布教所として開教した場所でもあり、故郷とも言える清き場所
です。その開教当時に起きた大きな出来事が、樺太より強制移住させられた方々の集団生活の中で、天然痘やコレラなどが大流行し、たちまちに伝染し、全住民の半数近くのの方々が、亡くなって行かれたことです。くわしこはこちらへ

21日午後2時より墓前法要が行われ、御遺族はじめ樺太より移住された方々、そしてアイヌ協会など、関係諸氏とともに多くの方々とご一緒に、過去をふり返りつつ犠牲になられた多くの方々に心を寄せ、追悼のご法要を勤めさせていただきました。法要後は樺太アイヌの弔いが行われました。

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DSC07619 対雁の墓地は、現在広く市民の方々が利用されていますが、元々この小高い丘に樺太殉難者方々が埋葬されていたことに始まります。しかし、石狩川のふちに北電の施設を建設することになり、この小高い丘が削られることになりました。そこから多くの人骨が発見されましたが、当時の教育委員会が立ち会
いの中、北海道大学の医学部などがその遺骨を遺族に無断で研究や標本にするためという理由で、大学などに持ち帰ってしまいました。非人道的な事件です。(北大人骨事件

DSC07625 その遺骨が遺族の方々や小川隆吉さんなどの長年の訴えがようやく国にもとどき、管官房長官より返還の見通しについて、東京五輪までに白老町のポロト湖畔周辺地域に整備される「民族共生の象徴となる空間(象徴空間)」の開設施設を作り、埋葬し、海外の方にもたいとの会見がありました。しかし、本来埋葬してあったこの対雁に返還されるべきではないかと、いう話をご法要後にお話しさせていただきました。この発表について、遺族の方々などは何も聞いていないということでした。先ずは大学からの謝罪があり、その遺族の思いになることが先のように感じることです。

DSC07582_edited-1 老朽化してきたこの「対雁の碑」の整備も今後の課題としてあり、遺骨返還と同時に今後の課題となっています。そして、住みなれた土地より強制的に移住させられた方々の思いは、問題は違いますが現在の原発事故により移住を余儀なくされている方々の姿も、心にうかびつつ、住みなれた生活の場所(居住地)がどれほど大切なのかをあらためて感じる法要でした。

DSC07678 まもなく7月になります。もう今年も半年が過ぎました。時は過ぎると早く感じることですね。政府は国の憲法解釈を変更し集団的自衛権を行使できるようにすることを目指し、最終段階に入っていますが、大変危惧しています。人間が人間を殺すことが正当化されるのが戦争でしょう。その戦争を二度と行わないと誓ってあるのが憲法です。政府が勝手に解釈を変えるのであれば、先ず国民に問い、改憲すべきと思います。

 「己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」法句経より

樺太移住殉難者墓前法要のご案内

6月21日(土) 午後2時~

江別市営墓地 やすらぎ苑

 江別市対雁14番1 (甲区)

のご法要は、明治8年、千島樺太交換条約の締結によって、樺太に住まわれていた 108戸 841名の方々がこの対雁の地に移住を強いられました。その後この地方で1886年より1887年(明治19年より20年)にかけて、天然痘やコレラなどが大流行しました。そして集団生活を強いられてきた方々は、たちまちに伝染し、全住民の半数近くのの方々が、亡くなりました。国と国の領土問題が発端となり、強制的に移住せられ、慣れない土地で集団生活を強いられ、犠牲となられていったのです。きっと、悲しく、つらく、我が身にもいつ伝染するかわからない恐ろしさの中で、日々過ごされたことでしょう。

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当時、その亡くなって行かれた方々の追悼を懇願され、その対雁にあった本願寺札幌別院対江布教所(現在の眞願寺)においでになり、その多くの犠牲になられた方々の葬儀・追悼を行ったことがご縁となり、眞願寺には現在もその犠牲者全員の過去帳が保管されています。すべての方に法名が授けられ、ご往生の年月日もきちんと記されていることです。前住職の時代に、その過去帳があることを、御遺族に申し上げ、墓前法要が毎年勤まるようになったのです。その「対雁の碑」には『乗佛本願生彼國』と刻まれ、本願寺明如上人の御染筆と刻まれています。本願寺としても大変な事態として、ご門主自ら筆を執られたのでしょう。

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 その碑を前に、御遺族の皆様や関係諸氏、市民が集い、その多くの犠牲になられた皆様に哀悼の意を表し、真の平和と平等を考えつつ、いまなお続く多くの領土問題などを、自己を見つめつつ問うていく日となります。

35回目になりました年に一度のご法要、どなたでも参拝出来ますので、是非お越し下さい。当日は午後2時の法要に引き続き遺族主催の墓前祭(樺太アイヌ式)が行われます。

樺太移住殉難者墓前追悼法要が修行されました

6月15日午後2時より、江別市やすらぎ苑内にある対雁の碑(いしぶみ)の御前にて樺太移住者追悼墓前法要が行われました。

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毎年6月第三土曜日の午後2時と決められていて、今年も予定通り行われました。当日の朝は雨が降りましたが、午後からはお天気になり、熱い日差しの中で御遺族はじめ関係諸氏が40名ほど集い、江別市とアイヌ協会の追悼の言葉が代読された後、先ずは碑(乗佛本願生彼國の碑)の御前にてご法要が行われました。

その法要の今年の「表白文」をご紹介させていただきます。

敬って
大慈大悲の阿弥陀如来の御前に申し上げます
本日ここ対雁の碑(いしぶみ)の御前において遺族はじめえにし深い人々とともに恭しく佛前を荘厳し 樺太アイヌ強制移住殉難者の追悼墓前法要を お勤めいたします

   顧みれば
1875年明治8年 千島樺太交換条約の締結によって 樺太にすまれていた108戸 841名の方々がこの対雁の地に 移住を強いられました
その後 1886年 明治19年 天然痘やコレラが大流行し300名以上の方々がいのちを失い 親を亡くし 子を奪われて 悲惨な現実を目の当たりにして嘆きと悲しみにくれた方は数を知りません

   今日にいたっても
犠牲になられた肉親を思い 朝夕に思い出し 悲しみの中で過ごされている方も少なくありません

   まもなく
事がおきて130年の歴史を刻む今日にいたっても 本国をはじめ世界各国では国同士がにらみ合い 領土問題などが解決されないまま内戦も続き 苦しみと悲しみの中で生活されている人々も 数知れません 誠に残念なことであります

   ここにこの法要を縁として
集われた有縁の皆様とともに手を合わせ
先ずはわれをふり返れば 悪業を重ね 罪深い愚なわたくしであり
諸行無常の娑婆世界に いのちある凡夫である事を ともに再確認いたし

   その上で
犠牲になられた方々を追悼し 歴史を学びつつ ひたすら仏法の導きに従って真の平和な世界の実現に努めますことを

      浄土真宗本願寺派廣間山眞願寺
               第五世 住職 釋 了 正
                      謹んでもうしあげます

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ご法要の最後に、皆様に一言ご挨拶させていただきました

『混迷する世界の中では、内戦や争いが耐えない今日です。その中で、このご法要に参拝させていただき、130年たつ今日でも解決されずにいる事実を学ぶことは、非常に大切なことです。私たちには遺骨の返還問題をはじめ多くの難題もあります。しかし日本では沖縄や北海道をはじめ、世界各国でも領土問題は後を絶ちません。そして世界中には多くの国や人種があり、その中で今日でも差別や偏見、そして人権が失われている方々も多いのではないかと思います。先ずは自己中心的になってしまう業の深き我を見つめつつ、お互いが尊びあえる社会を目指し、みほとけのみ教えを聞く人生を送っていただきたいとおもいます。』

その後、樺太アイヌの方々による慰霊祭と『カムイニミ、イチャルパ』が行われ、終了後に眞願寺にて懇談会が有意義に行われました。

DSC00143眞願寺の開教当時を思うと、その歴史とともに歩んでこられた御遺族の皆様のご苦労は、計り知ることは出来ないと思います。眞願寺を守り続けてこられた歴代住職や門信徒の方々のご苦労とともに、お寺にとって大切なご縁と深く心に刻みつつ、感謝の中でお参りさせていただきました。法要実行委員会の皆様、ご苦労様でした。DSC00142_edited-1

樺太移住殉難者墓前追悼法要のご案内

6月15日(土) 午後2時 

江別市営墓地(江別市対雁)

DSC00705のご法要は、明治8年、千島樺太交換条約の締結によって、樺太に住まわれていた 108戸 841名の方々がこの対雁の地に移住を強いられました。その後この地方で1886年より1887年(明治19年より20年)にかけて、天然痘やコレラなどが大流行しました。そして集団生活を強いられてきた方々は、たちまちに伝染し、全住民の半数近くのの方々が、亡くなりました。国と国の領土問題が発端となり、強制的に移住せられ、慣れない土地で集団生活を強いられ、犠牲となられていったのです。きっと、悲しく、つらく、我が身にもいつ伝染するかわからない恐ろしさの中で、日々過ごされたことでしょう。

DSC00716当時、その亡くなって行かれた方々の追悼を懇願され、その対雁にあった本願寺札幌別院対江布教所(現在の眞願寺)においでになり、その多くの犠牲になられた方々の葬儀・追悼を行ったことがご縁となり、眞願寺には現在もその犠牲者全員の過去帳が保管されています。すべての方に法名が授けられ、ご往生の年月日もきちんと記されていることです。前住職の時代に、その過去帳があることを、御遺族に申し上げ、墓前法要が毎年勤まるようになったのです。その「対雁の碑」には『乗佛本願生彼國』と刻まれ、本願寺明如上人の御染筆と刻まれています。本願寺としても大変な事態として、ご門主自ら筆を執られたのでしょう。その碑を前に、御遺族の皆様や関係諸氏、市民が集い、その多くの犠牲になられた皆様に哀悼の意を表し、真の平和と平等を考えつつ、いまなお続く多くの領土問題などを、問うていくDSC00694日となります。

年に一度のご法要、どなたでも参拝出来ますので、是非お越し下さい。当日は午後2時の法要に引き続き遺族主催の墓前祭(樺太アイヌ式)が行われます。(写真は昨年の様子)HPはこちら