月別アーカイブ: 3月 2004

世の中安穏なれ!

「人道的復興支援」の言葉のもと、毎日テロによる死者が絶えないイラクへ、武装した自衛隊の派遣が始まった。雪の北海道旭川で「日の丸」の小旗が振られる中、イラクへ赴く隊員達が、出発した。

その光景をテレビで見た私は、50余年前の「日本」を想像した。学徒動員・「お国のために命をささげ…」そんな時代だったのだろう。この出発していかれた、自衛隊隊員は、どんな思いで日本を後にしたのだろう。そして、自分のいのちを守るためには、他のいのちをもうばう覚悟があるのだろうか。「人道的復興支援」の「人道」とは、その敬意がどうであれ、人のいのちを奪うことにもなる。そうともいえるのでは…

「平和」を願い国際協力や日米同盟、イラクの復興だけが表に表れているが、その裏側に存在しうる事実をもっと見つめるべきではないか。機関銃をもっていがみ合い、殺し合いをしても、真の平和は決して訪れることはないだろう。現代日本はとても幸せの世の中に見えるが、50年以上前に亡くなって逝かれた多くの戦没者の家族は、今日も悲しみの中で日々を過ごしている。その人達には、自衛隊の出発はどう見えたのだろう。

銃をすてて、お互いの手を握り合い、お互いをみとめあう。そんな時代を願い、今私に出来ることを考えていきたい。宗祖親鸞聖人が残されたこの言葉を思い出す。「世の中安穏なれ、仏法ひろまれ」と。

平成16年3月1日

宗教の異なる家族が亡くなったら…(葬儀と宗教)

家族の間で異なる宗教を信じていたり、あるいは「無宗教」という人がいる場合その方が亡くなれば、葬儀はどうすればよいでしょうか。

一般的に言って、さけて考えられないことは『故人の意志』だと思います。まして、生前遺言に「私が死んだらこうしてくれ」などと言われていれば、なおさらでしょう。そこで、「葬儀は故人の宗教、信条に基づいて決める」と判断される方が多いようです。

しかし、こんな話があります。無宗教を自認し、葬儀無用論を説いていたある方が、思いもかけぬ我が子の死に出会いました。その途端、これまで盛んに主張していた説はどこかへ吹っ飛び、涙ながらに「盛大な葬儀をしてくれ」と頼んだといいます。

つまり、故人の死を縁に営まれる葬儀というのは、後に残った遺族、縁者が故人の死を悼み、その遺徳を偲(しの)ばずにはおられないという信条から行われる儀式であるわけです。

「死を悼み、遺徳を偲ぶ」ことは、自らの信仰とは切り離し得ない心のはたらきです。たとえ故人が無宗教でも、また他の宗教を信じていても、『私』が故人を偲ぶ時、私の宗教観でしか偲べないのではないでしょうか。

そう考えると葬儀は遺族の信条(信仰)にもっともふさわしい宗教で行われるのが本筋ではないかと思うのです。

「それでは、故人の意志はどうなるの?」と言われそうですが、ここではっきりしておきたいことは、その『意志』が「自分のことをたのむ」と言っているのか、または「後に残った者がよりよく生きるための願い」であるのかを聞き分ける必要があると言うことです。もし前者ならば、時には遺族の心を束縛しかねません。

要は、死んでからのことを頼むのではなく、今生きている時に、大切な心(信仰)を伝えておくことです。お念仏を子や孫に伝えるには、今をおいてほかにないということです

朝には紅顔ありて(あしたにはこうがんありて)

朝には紅顔ありて今回は新刊書の中から朝には紅顔ありて(あしたにはこうがんありて)を御紹介させていただきます。著者は御門主大谷光真様であります。平成15年4月に発行されてから、版を重ねるごとに感動の輪を拡げていると聞きます。深い学識と篤信からくる平明な文体での表現は、まさに珠玉の著作であります。

本書の帯に記された読者の声でありますが、61歳の男性は「第2の人生の扉を開けるきっかけとなった1冊です。これから仏教を勉強してみます」と。また27歳の女性は「この本を読んで、自分が生かされている命を持っているという重みを実感しました」と述懐いたしております。

また、作家の五木寛之氏は「心の乾いた時代にどう生きるか。やさしく、深く、説かれた宝石のような書である。私も常に座右に置きたい1冊だ」と、記しておるのです。

本書151頁より、次の言葉を紹介させていただきます。

御門主大谷光真様…… <春が来た、春が来た、どこに来た…> という童謡があります。春そのものは目に見える物ではありません。水が温み、日差しが明るくなり、桜のつぼみが脹らんで、窓からはいる風が暖かく感じられる…春とは、そうしたはたらきを私たちが感じとって、そこに <来た> ことを知るものです。人によって春を感じる場面や瞬間は、さまざまです、けれども、春の訪れを感じないという人はいません。春という存在は、誰にでも確実にわかるものです。仏様も同じです。仏さまもまた、姿かたちでその存在がわかるものではありません、私たちが仏教の勉強をしたり、お寺へお参りしたり、おつとめをしたりする、そうした仏縁が重なるなかで感じられるようになるものなのです…

鮮やかに印象に残る一片の詩ではありませんか。春の光を窓辺に受けて <宝石> のような本書を手に思索のひとときをお過ごしになられることを願ってやみません。

坊守から・平成16年3月

桃の節句を迎えましたが、外にはまだたくさんの雪がありますね。
日差しは少しづつ春を感じさせてくれる様になってきて、心を明るくしてくれます。スキー場にて

季節柄、知人の引っ越しなどの話が聞こえてきます。皆で「寂しいね~」などと話していると、下の娘が「お母さん、引っ越すときは、ほとけ様を忘れないでね!」…と。

かけ足でアッという間に過ぎた10年でしたが、2人の子供達は、それぞれお育てをいただいてきているんだと、ありがたく思いました。

母親のわたしも、しっかりしなきゃ!