門信徒の皆様から」カテゴリーアーカイブ

8月13日〜15日 午前7時 晨朝勤行

晨朝勤行と凡夫のたわごと
 今年も、お盆の3日間晨朝勤行にお寺へ行って来ました。
 思い出したように時々にしかお寺に行かないが、晨朝勤行は毎年顔を出すのは何かあるのですかと聞かれたことがあります。
 今回の晨朝勤行も住職さんの法話がありました。一日目は「人生そのものの問い」二日目は「凡夫」三日目は「真実の教え」についてでありました。日々の自分の姿を見ていると、法話の凡夫そのもので、反省と後悔を繰り返しています。
 三日目の法話で「求不得苦」のお話しを聞き、仏教のある教えを聞いた事を思い出しました。

〈これ〉があるとき 〈これ〉がある
〈これ〉がないとき 〈これ〉がない

 今の私の場合、がある・がないの〈これ〉を〈反省・後悔〉と置き換えてみると、頭の〈これ〉は何に置き換えたらよいのかと考えたことがありましたが、自分なりの答えを見いだすことなく今に至っていることを思い法話を聞いていました。
 日々心が乱れた状況の多い生活の中、少しでも穏やかな気持ちで一日を過ごすすべはないかと考えた時、毎朝「正信偈」を唱えて一日を始めれば少しは違うのではと考えた事がありました。
 しかし、よい考えかもしれないが、それは大変困難で、私には不可能な事であることはすぐ理解することができ諦めました。凡夫ゆえ諦めたとたんに、そのような事を考えたことも忘れ、前と変わらぬ生活を送っていました。
 それでも、時々〈これ〉を思い出すと同時に心を穏やかに過ごすすべはないかと考えることがありました。
 そんなとき、お盆の晨朝勤行と出会い三日間なら私にでもできるのではと、晨朝勤行をお盆の三日間に集約する言い訳みたいな妥協案を自分に言い聞かせて通い始め今日に至っています。
 動機や経過がなんであれ、三日間無心に勤めながら、少しでも縁起等について考えて見るのは良い事だと自分に都合のよい“たわごと”を呟きながら今年もお勤めさせていただきました。
南無阿弥陀仏

釋 縁 顕(髙間 満昭)




伝灯奉告法要団体参拝旅行 第2班に参加して

 5月12日より14日まで、総勢13名の参加で順調にそして充実した旅となり思い出深い縁にお遇いでき、とてもありがたいことでした。










 私は、昨年7月1日第25代専如ご門主様札幌別院ご巡拝の際、ご住職をはじめ多くのご門徒さんと参拝させていただいた時、ご門主さまの凜とした清々しいそのお姿、そのお言葉に深く感銘を受けました。このことが、この度のご縁をいただいた動機の一つとなりました。
 初日は笠羽さんの車にて途中宮崎さん宅にお寄りして新千歳空港に到着し、団体カウンター前に全員集合の後、ご住職のごあいさつがあり一路大阪空港に向かいました。
 大阪・伊丹からバスに乗り、法会館に到着し昼食となりました。皆さんあまり疲れも見せず境内を散策し、集合写真撮影のあといよいよ「伝灯奉告法要」の時となり「御影堂」に案内され指定の席に着きました。
 ご法要では、御導師をお勤めいただいたご門主様とご一緒に、ご住職も内陣に出勤されました。その内陣は、目を見張る如く壮大で厳粛な荘厳であり、私は身も心も緊張の中、法要の様子を拝見し外陣で参拝させていただきました。








 法要のあと、ご門主さまとお裏方さまやお子さま、そして前ご門主さまと前お裏方さまもご一緒においでいただき、緊張の中にも温かさと和やかさが醸し出され、さらに身近に感じさせていただいたことは私だけではないと思います。
 「伝灯奉告法要」を終え、私は行動を別にして「帰敬式」をこの度ご一緒に参加いただいた南幌妙華寺様の川平さん濱田さんと受式しました。ご門主さまより「おかみそり」をいただくその瞬間、目を閉じ「無」にしていましたが、今より何かが‶変わった”と思いました。‶ありがとうございました”と。
 終了後、ご住職より「法名」を拝受し、「おめでとうございます。お仏壇内に納めておいてください。」とお言葉をいただきました。
 その後、宿に入ってから徒歩にて二条城前を通り、平安京最古の史跡といわれる‶神泉苑平八”にて京懐石を頂きました。ここから住職のご長男郭成さんとご長女の礼華さんも京都に在住されているとのことでご一緒し、従兄弟の伊澤沙羅さんも本願寺に奉職されているとのことで、若い三人の方もご縁をいただき、自己紹介とスピーチ等楽しいひとときとなりました。
 2日目は「大谷本廟」で親鸞聖人ご廟所の明著堂や無量寿堂にある当寺の納骨壇に参拝させていただきました。





 その後、蓮如上人ゆかりの聖地「山科別院」にて参拝。約100メートルはなれて「蓮如上人御廟とお土塁跡」を参拝させていただきましたが、団体参拝旅行としては初めてのことと伺いました。



 バスにて京都駅前にて降車、自由散策となり私は宮崎さんと昨年4月オープンの京都鉄道博物館を見学、国内最大といわれるその規模はすばらしいことでした。



 夕食のあと、本願寺花灯明~夜の参拝・特別拝観~は、ライトアップされた建物内外は日中とは全く異次元そのもののように私たちの目に焼き付き、多くの国宝や重要文化財は第一級品であると思いました。また、設置された「竹あかり」は熊本復興支援を目的として作られたものでした。





 最終日は大阪へ。落語家といく「なにわ探検クルーズ」で、安治川から東横堀川、堂島川に至る35本の橋2つの水門をくぐり、川面から見る大阪市内のロケーションは1時間半の楽しい船旅でありました。
 道頓堀で昼食後、なんばグランド花月近くを散策して大阪空港より新千歳空港に到着。ご住職よりご挨拶があり、全員元気に旅を終えたこと、御礼と感謝で帰宅いたしました。
 お寺からその後、多くの写真とメッセージが届き改めて思いをいたしました。旅行の説明会のとき、ご門主著「ありのままに、ひたむきに」は何度も目をとおし、その時々の思いを馳せている自分があります。



 既に五十回忌を終えた両親や兄が叶わなかった本願寺に私が代表してご縁をいただいたことでありました。このようなご縁に出合わせていただきありがとうございました。
 これからは、札幌組で開催している「れんけん」に出席して精進してまいりたいと思います。   合 掌
南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏  釋 厳顕(北喜伸博)

夕食会でサプライズ!

この日ご門主様のご長男敬様がお誕生日でしたが、この団参に参加した加勢郁子さんもお誕生日でした。ケーキでお祝いしました。

姉妹で西本願寺に参拝

山下 眞理子(当別町)

 「京都に行くならぜひ本願寺へ行ってらっしゃいよ。」
 十数年振りに姉と二人で京都に行くことになった。ご住職が昨年のお盆に我が家にお越しいただいた際、それとなく本願寺の話をしてみたら、そのような返答。久々の京都なので、調べれば行きたい所はたくさんありそうだけれども、折角だから住職の言葉に乗っかってみようということになった。
「そこに行けば何かいいことがあるらしい。」
 姉は数日前より京都の別の場所で観光しており、京都駅で私と合流して、そこから徒歩圏内に西本願寺はあった。
 門をくぐると樹齢約400年の大きな銀杏の木が左右に立派に手を広げており、暫く二人でみとれる。
 まずは寺務所へ行き、今回の目的である我が家の永代経開闢法要の手続きをする。我が家の仏壇から持参した祖父の院号を包みから開いて、差し出そうとしたそのとき、「ない!」口あんぐり。持ってきたはずの院号が入ってなかったのである。まさか、そんな…。
 「カタカタカタ…あの、お調べできますよ。」
 「え!…はぁ。確か○○院だったと思います。」
 「…カタカタ、眞願寺さんですね。はい、すでに永代経ご懇志を進納されておりますね。そのほかに貴家様では…この方も、この方も、もうすでに永代経ご懇志進納お済みの方が何名様もいらっしゃいますね。あのよろしかったら、ほかのご家族もお誘い合わせで後日に開闢法要に会われてたらいかがでしょうか。きちんとご接待させていただきますが。」
 「!!!」
 …接待とはなんぞや…と、迫力のある巨大な木造建築の御影堂と阿弥陀堂を繋ぐ渡り廊下を歩きながら、9月も残暑厳しい京都にいて、一気に汗が吹き出した2人でした。
 2日後そのときを迎え、私たちは阿弥陀堂にて荘厳な雰囲気の中、参拝させていただき、法話そして雅楽の演奏までもあるご法要をありがたく頂戴した。
 西本願寺は境内にある建築物のほとんどが国宝か重要文化財であり、立派なものばかりでありながら、非常に開けた場所で自由に観光客も地元の門徒も行き来している。
 かと思えば、数百人規模の地方の門徒集団がたすきを掛けて、お堂の清掃に勤しんでおられる姿も見られた。そんな中、読経がごく自然に聞こえてくる、そんな場所であった。
 その後、担当の方より事務所奥の間へと誘導され、待ちに待ったお斎のご接待を受けることに。台風が近づいてるとのことで、いつもなら離れの飛雲閣に通されるところ、その日は菊の間(国宝)での接待であった。ほの明るい菊の間にはすでにひとりひとりのお膳が準備されていた。  炊き合わせ、ごま豆腐、煮物、吸い物など、椀に美しく盛られておりすでに感激していたが、皆揃って感謝の心で「いただきます。」と言いほおばると、料理ごとに溜め息が出るほど感動的に美味しい。
 丹精込めて作ったであろう料理番の方に思いを馳せながら、有難く幸せを噛み締めながら味わう。そして、食後にはお抹茶を和菓子とともに。
 十分に満足感で胸とお腹がいっぱいであったが、更に担当の方から菊の間をはじめ、内部を丁寧に説明していただきながら見学となり、歴史を感じさせるくすんだ金色も豪華絢爛な天井画や襖絵の数々、秀吉の謁見の場として利用されていた間など貴重なものを拝観させていただき、誠にありがたく感激ばかりの時間でした。
 帰りに、銘菓「松風」を持ち、まだ見ぬ西本願寺の全貌を横目に、夢心地で西本願寺を後にした私たちでした。
 考えてみれば、ご先祖様も生前、西本願寺に行きたいと願われていたかもしれない。ご住職とご先祖様のお導きにより思いを渡されたこの機会だったと、ただご先祖様に感謝の気持ちであった。 また心残りを作り、戻ってこれることを思いながらの京都西本願寺の旅でした。

両親の葬儀を終えて

岸田隆志

25-01 父母の晩年は、岩見沢の施設で過ごし、年に数回の自宅への里帰りを繰り返していました。
私が転勤をした年の5月連休中、父の姉が亡くなり、かなりの無理を承知で函館まで連れて行くことができました。この年の6月に父が急逝しました。
 妻・姉には面倒をかけ、遠距離のために死に目には間に合わず、電話での連絡に看取ってくれた妻に「ありがとう」としか言えなかったのを今でも覚えています。仕事一筋で几帳面であったその部分は、受け継いでいるのかもしれないと最近思うこともあります。
 今年の転勤から1ケ月が経ち、入院していた母が退院するとのことで安心して仕事先に戻りました。しかし、再入院の話から再び急逝の知らせが届きました。全く予期していず、明け方の道路を運転して実家に戻りました。再び死に目には会えませんでした。
 私の子供たちは、遠方から皆葬儀に駆けつけてくれました。嬉しいことでした。母の葬儀には間に合わなかったものの娘夫婦が来てくれ、期せずして孫娘との再会を果たすことができました。その後、娘と孫娘は四十九日を過ぎるまで滞在してくれ、毎週末勤務先から実家までの帰り道が楽しみへと変わりました。
 様々な手続きは、皆の協力で短時間で済ませることができました。両親の生前の所業が、弔問客によってうかがい知ることができました。懐かしい名前がいくつも綴られていました。たくさんの人の世話をしていたであろう知人・親族等ご縁いただいた方々が、私たちへの恩恵となったのだと思います。私の幼少時の記憶もたくさんよみがえってきましたが、親となり祖父となり、初めて親が抱いたであろうその時々の気持ちの変化が鮮明に理解できるようになりました。
 多くの感謝の気持ちを持ち、次世代を見守っていきたいと願い、健康で生きることを尊び、両親にも感謝の念を持って、今後の人生を歩んでいこうと思います。

門徒文芸欄

家郷隆文先生『阿仏尼』を粛粛と講じたりき今にして知る沙門であること
拾ひたる流木埴輪のかたちして小さな窪み胸乳にも似つ
今われの心幼しミキハウスに赤ちゃんの靴下選びてをりぬ
ほころべる夫の布袍の身八口つ口閂止(かんぬきど)めでなおしてやりぬ
お寺より戻れる夫は布袍のまま犬小屋に犬の頭をなでゐたり

鈴木紀子


通話のみのきのうのあればそれでよし檀家詣りの老いのケイタイ
淀みなく浄土を説けぬが当たり前きみは二十(はたち)の住職候補
くじ順に撞きゆく除夜の鐘なれば四囲に流れる響きのまだら
教会の葬列にゐて異教徒は念仏ひとつ心に称ふ
わが知らぬ母のことなど聞かされてお斎(とき)の席の産土(うぶすな)ことば
ふる里の手次の寺の忌に集ふ血縁遠き老い懐かしむ
この味に勝るものなし倅よりの清酒『景虎(かげとら)』今宵飲み干す
石狩の野を走り来て夕景のミュンヘン大橋渡れば住み処(すみか)

鈴木彰


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※皆様の文芸、心よりお待ち申し上げます(響編集局)