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冬の境内(野鳥)  ②  いよいよ親鸞聖人750回大遠忌御正当法要

新しい年をむかえ、しばれる日が多い江別です。零下10度より低温の日も少なくありません。7日の晩より冷え込み、8日の朝は零下15度になりました。8日の午前10時前の境内に設置した温度計はマイナス12度を指しています。太陽が出てもこの気温。なまらしばれています。

しかし、そんな日は境内の樹氷も美しく、ダイヤモンドダストの光り輝く中で、氷点下の美しさを見せてくれます。そんな境内にもたくさんの野鳥が訪れ、餌代には常時スズメが50~60羽ほど、けんかをしながら餌をついばみ、時々アカゲラモ覗いてくれますし、ナナカマドの赤い実をツグミがおいしそうについばんでいます。

ヒヨドリは屋根に積もった雪のわずかにとけてたれてくる水を、上手に飲んでいました。貴重な青米の餌を提供していただいた、御門徒の正木さんに感謝しつつ、時間があればそんな境内に目を向けています。

いよいよ9日より16日まで750回大遠忌御正当法要が始まりました。昨年の大遠忌のしめくくりとなるこの法要は、全国より門信徒が集まり、盛大におつとめになります。

 

9日の初日は、親鸞聖人のご縁深い京都頂法寺六角堂の池坊次期家元の池坊由紀師による献華式が行われ、御尊前にお供えになられた後、親鸞聖人御厨子のお扉を開扉する儀式『御親開』がご門主様により行われました。

初逮夜では、新門さまが御導師をお勤めになられ、にぎにぎしく報恩感謝の中でご法要が行われました。わが眞願寺も団体参拝を企画し11日より13日まで2泊3日の団体で参拝旅行にいってきます。12日は終日ご法要に参拝し、御影堂のお荘厳替えを拝見しつつ、御真影様に御礼させていただく予定です。24名の団体になりましたが、参加出来なかった眞願寺の御門徒の皆様とご一緒に、お念佛申させていただきたく存じます。是非インターネット配信の法要中継をご覧下さい。

そして1月16日ご御正当は午後1時より眞願寺で御法座がつとまります。ご法話は藤順生先生です。

天候が心配ですが、皆様とご一緒に尊いご縁をいただきたいと思いますので、ご参詣のほど、よろしくお願いいたします。

大遠忌 眞願寺第二期団参 『お念佛に出会う旅』 ③

16日(日)、最終日は天気にも恵まれ、いい観光日となりました。9時にホテルを出発し、二条城を通過して一路高山寺を目指しました。右京区梅ヶ畑の山間にある高山寺に参拝しました。山の中腹に作られたこの寺院は、今はバスなどの交通でこれますが、昔はさぞ大変なことだったと思います。さすがに仏道実践の霊域を感じることです。浄土真宗とはいろんな意味で寺院建築も違いますね。

しかし山間の景観はすばらしく、紅葉の時期はすばらしいことでしょう。そして国宝も多く、鳥獣人物の画など、楽しませていただきました。参加者には足の悪い方もおいでになりましたが、一番高い金堂まで登り、参拝させていただきました。気持ちのいい山の中の参道、沢ガニの姿を追いかけつつ、杉の大木を見上げながら、バスへと向かいました。

高山寺を後にして、嵐山方面へパークウェイでドライブです。景色がいいのと、紅葉の始まりを楽しみました。途中、バスを降りて景色がいいところより谷間をながめていると、保津川下りの船を見ることが出来ました。望遠レンズで一枚写してみました。一度乗ってみたいですね。



嵐山のドライブインで昼食。「食前の言葉」皆さん覚えましたか?お買い物を楽しみ、渡月橋ででくわした『斎宮行列』を見物し、京都を後に帰路につきました。

飛行機の中からはきれいな夕日も見えて、西の彼方の浄土を思いつつ、3日間をふり返り、帰るところがあるのは、ありがたいことだと実感したことです。

ご本堂で到着をご報告し、感謝申し上げました。今回も添乗いただいたJTB北海道大川氏に感謝申し上げ、このすばらしいご法要のご縁を、多くの人に伝えていただき、お念佛ご相続の生活をお願いしたことです。

さあ、大遠忌も残り少なくなってきました。11月期が終われば、1月の御正当法要で円成となります。是非、1月の寒い時期ではありますが、希望者をつのって、1月11日~13日の旅行を考えたいと思っています。ご本山からはすべての浄土真宗本願寺派の僧侶へ、出勤を呼びかけられています。50年に一度のご縁を、大切にしたいと思います。最後に今回の団体参拝旅行に参加いただいた皆さんに感謝申し上げます。

大遠忌 眞願寺第二期団参 『お念佛に出会う旅』 ②

15日、午前8時にはホテルを出発し、一路ご本山へ向かいました。堀川通りを七条より北にあがり、興正寺さんを過ぎると本願寺です。七条の交差点より大きな旗がたくさんそびえ、賑々しくお出迎えです。ご本山の職員の皆様がたくさんでお出迎え下さり、歩道に降りると、『北海道札幌組の皆様、ようこそお参り下さいました。』と声をかけて下さいました。

列を組んで団旗を先頭に、山門へ向かいます。その間もたくさんの方にお出迎えの声をかけていただき、、ありがたいことです。さあ、山門で一礼しご本山本願寺の境内へ。

前回と同じように、先ずは記念撮影です。ホテルを出発したときは小雨模様で心配しましたが、雨も上がり撮影できそうです。そんな時、団参の皆さんとは別な方向から、「住職!」っと声がかかりましたが、ここに住職はたくさん居るのだからと思っていましたら、『眞願寺住職さ~ん!』と。よくよくその声の方向に振り向くと、かわいい二人のお子さんずれの家族がいました。え!「内藤君!」眞願寺の法務員を長らくお勤めいただいた北海道佐呂間町西光寺さんの内藤さんご一家でした。「いやぁ~っ。こんなところでびっくりだね!」と声をかけると、「実は眞願寺の団参があることはHPで知っていて、会えるかもしてないと思い、うろうろしていました。」とのことでした。うれしいことです。団参の参加者にも、よく知っている方も多く、ご本山での再開をよろこびながら、いっしょに記念写真に入ってもらいました。

またまたその他にも受付まで私を追いかけてきた大阪の友人にも会い、席が空いていれば一人分分けてほしいとのこと。「私が出勤だから、その分空いているから」と言うことで、友人の知人(沖縄県石垣島の寺院の坊守さん)が急きょご一緒することになりました。

山門より境内に入れば、多くの出会いや再会があり、どんな方とも御同朋の仲間として参詣できる、そんなよろこびを感じつつ、先ずは阿弥陀堂に参拝です。

きれいにお荘厳され、すばらしい御内陣に見とれながら、合掌。そして渡り廊下より御影堂へと向かいます。今回の参拝席は下陣の外ではありますが、正面よりやや北側で、「縁儀」の歩かれる通路の近くでした。目の前で「縁儀」もよく見えますし、直接御内陣を見るのはなかなか難しいようですが、大きなスクリーンが目の前にあり、よかったとおっしゃっていました。

さあ、ご法要です。私は御内陣に出勤させていただきました。阿弥陀堂でにて御門主様とご一緒に御本尊に参拝させていただき、後堂より御影堂へ。御影堂後堂でしばし準備ととのうまでまち、雅楽の合奏の中で御内陣へ入堂です。普段より広い御内陣には、御導師の御門主様、新門様と我々結衆が24名が着座し、宗祖讃仰作法音楽法要がおつとまりになりました。すばらしい音楽法要でした。

ご法要が終わる前より、浄土宗知恩院門主様と、真宗九派の各御門主様の御焼香がありました。1年間に及ぶこの度の大遠忌法要の中で、一度だけのご縁である、各派御門主の総参拝のご法要にたまたま私達が参詣させていただいたのでした。御内陣の私の着座していたまうしろには、浄土宗知恩院の門跡様がご臨席になられ、ご法要雅終わると先ずは、本願寺の御門主様、新門様のちょうど真ん中である、内陣正面までおいでになられ、五体当地の礼を以て、御焼香されました。その後、東本願寺門首様より真宗各派の御門主が焼香され、厳粛な中に希有のご縁を拝見させていただいたことです。

ご法要の最後は、新門さま、御門主様の「お言葉」をいただきました。その中で大震災の原発事故にも触れられて、『原子力の問題は人間の知恵や能力を超えて、私達の欲望が広がったことを示しています。それは後の世代に犠牲を強いることになるでしょう。』とのべられました。そして『仏法を伝えられ、御影堂を託された私達が子孫へは何を残すことが出来るでしょうか。』と問われました。そして最後に『南無阿弥陀佛とお念佛申し、精一杯過ごさせていただきましょう。』とお示しくださいました。心深く聞かさせていただいたことです。

 ご法要が終わり、予定では書院の拝観でしたが、各派宗主のご接待のため書院は本来の使用目的のため、拝観が中止となり残念なことでした。しかし、飛雲閣や唐門は拝見させていただきました。又、今回もお二人が帰敬式を受けられ、ありがたく法名拝受されました。おめでとうございます。

受付テント付近で皆様集合し、ご本山を後にしました。やや雨模様の中、本願寺と興正寺の間の道を通り、本願寺の玄関門にさしかかりますと、その玄関門にたくさんの僧侶がどなたかのお見送りをされているようでした。どちらかの御門主様でしょう。本願寺の職員さんも大忙しの日だったようですね。

 龍谷大学をぬけて七条通りを渡ったところにある本願寺御用達の「坂安」さんに到着。本願寺のお斎を作られている京料理の老舗です。二階の和室でゆっくりとお昼をいただき、ご法要の感動を思い起こしつつ、おいしい昼食で一時を過ごさせていただきました。

昼食をすませ、自由散策になりましたが、前日いけなかった青蓮院に参拝し、親鸞聖人のお得度されたお姿を偲びつつ、合掌させていただきました。そこからお買い物もあるとのことで、清水まで行き、自由散策です。ここで又、江別の方々とお会いしました。それも、大麻高校の修学旅行の一行です。バスもとなりどうしに駐車し、息子の友達にも会うなど、世の中せまいものですね。

一端ホテルに帰り、夕食は三条の『がんこ京都本店』に向かい、一献かたむけつつ、お一人づつ感想をお話いただきました。ご法要の余韻と感動。そしてお念佛に出会えたよろこびと、導いて下さった亡くなって行かれた身近な方々に感謝しつつ、夜もふけてゆきました。私も坊守と娘と来れて本当によかったと思いました。そんな娘が「50年後もも必ず本願寺にお参りします!」と。うれしいですね。ありがたいですね。

大遠忌 眞願寺第二期団参 『お念佛に出会う旅』 ①

10月14日(金)より16日(日)まで、第二期の団体参拝旅行に行ってきました。もちろんご本山本願寺で行われる親鸞聖人750回大遠忌の参拝旅行です。6月には3泊4日で予定定員40名を上回る45名の方の参加をいただき、「お念佛ご勝縁の旅」となりました。是非私も!と言う声をいただき第二期を企画させていただいたことです。この度は18名の団体ということで、比べれば少なかったのですが、すばらしい旅となりました。この旅行を一言で言い表せば、『お念佛に出会う旅』だったと感じる今日です。

10月14日(金)まだ真っ暗の朝5時に、ご本堂や境内にに電気をつけ、お迎えする準備をしていました。間もなく参加者が次々とおいでになり、夜も明けつつあります。

ご本堂で出発式、前坊守の見送りの中バスで千歳空港へ。江別西インター付近できれいな日の出にあいました。このお天気が京都でも続けばと・・思いましたが。

関西空港よりバスで一路京都は銀閣寺横にある「おめん銀閣寺本店」に到着。やや雲行きが怪しくなってきましたが、坊守ご推奨の京うどんのお店に到着です。店ののれんの前で写真をと思いましたが、後回しにして、先ずはいっぷく。おいしいお茶をいただきながら、18名の自己紹介。3日間よろしくお願いします。

さすが坊守のおすすめとあり、おいしい京風のおうどんをいただきました。九条ネギやミョウガなど、たっぷりと薬味をいただき、つけめんで!

お店を出るとかなりの雨、のれん前で写真の話しは自然と消滅して、歩いて銀閣寺へ。雨の中での散策となりましたが、雨の庭園と銀閣も美しい姿を見せてくれました。

銀閣寺より北にバスで15分、本願寺北山別院に向かいました。一乗寺にちかい駐車場より雨の中歩いて15分、すばらしい山門が我々をお迎え下さいました。

親鸞聖人ゆかりのご別院は、聖人がまだ修行にておられた延暦寺から六角堂への参道の途中にあり、ここに湧いている清らかな水でのどを潤し、体をぬぐわれた場所です。この急な参道を歩かれた聖人のご苦労があったからこそ、お念佛と出会われたと思うと、その清らかな水をくみ、手を潤すと無量のよろこびを感じる一時でした。又、ご別院の山門は、実は眞願寺の山門を建立するに当たり、大変参考にさせていただいた山門です。参拝者の皆さんに話すと、「本当に似ていますね!」

そこから西大谷、大谷本廟へと向かいました。親鸞聖人の御廟があり、大遠忌中は、参詣者が後を絶ちません。まさしく御礼参拝です。その大谷本廟には眞願寺の納骨堂があり、当寺の門信徒の皆さんが分骨されています。今回も、お骨を抱いての旅となりました。礼拝堂で讃佛偈のお勤めと御法話をいただき、納骨堂で納骨式。7名の方々の納骨をさせていただき、皆さんで重誓偈のお勤めをさせていただきました。

その後、明著堂に参拝。まさしく親鸞聖人の御廟六角堂に参拝御焼香させていただきました。

予定では青蓮院参拝の予定でしたが、朝も早く、雨もかなり降り続けていたので、一端ホテルにチェック・インし、一休み。夕食会場へと向かいました。

 夕食は住職が是非とのことで三十三間堂近くの『わらじや』さんで、おいしいう雑炊で京料理を堪能しました。

明日はいよいよご法要です。ホテルにまっすぐ帰り、まもなく就寝でした。(本当はちょっと一杯、ホテルのバーでいただきました。)

参拝旅行を終えて 釋縁顕(髙間 満昭)様より

親鸞聖人750回大遠忌法要第一期団体参拝の参加者を代表して旅行記を書いていただきましたので、ご紹介させていただきます。

750回忌大遠忌法要参拝団に参加して

西日本等では卯の花が咲く頃(初夏=梅雨)北海道札幌教区12班の親鸞聖人750回忌大遠忌法要参拝団は6月9日早朝に廣間山眞願寺境内を坊守さんに見送られ出発しました。

新千歳空港から神戸空港に着き京都の桂川を渡り「西山別院」へと向いました。
別院は旧本願寺阿弥陀堂を移築したもので現在は浄土真宗本願寺派の「得度習礼・教師教修研修道場」「西山幼稚園」を境内に併設し、本願寺教団の創設者で親鸞聖人の曾孫に当る覚如上人の御廟所であり、我が眞願寺の住職石堂了正さまも若き折り西山別院にお勤めされていた重要なお寺であります。我々一行は本堂にて「讃佛偈」をあげ覚如上人御廟をお参りし対面所にて昼食をいただきました。

御廟所は大きい樹が墳墓の上に根を張り正和の時代から変わりない命の流れを今に伝えているようでした。私が一番印象的だったのは、境内で子供達がボール遊びをして母親達が立ち話をしている境内風景であります。別院のような有名で重要なお寺の境内で遊ぶ子供達の姿は私の中にあるお寺風景と重なり強い印象と安らぎを感じました。

午後より参詣しました親鸞聖人の御廟「大谷本廟」には「・・・・先人にならいまずご廟に跪き、聖人の生涯を偲びつつ、南無阿弥陀佛とお念佛を申しましょう」と記されていました。親鸞聖人750回大遠忌とのことで普段は入れない明著堂の堂内で南無阿弥陀佛と念佛申すことは出来ましたが、聖人の生涯を偲びつつの参詣は勉強不足の為、不十分と思いながらの参拝でした。

また、大谷本廟には第一・第二無量寿堂納骨堂があり今回も幾人かの方が分骨されていましたし、先に納骨されている方は久しぶりのお参りとなったようで、それぞれの思いのなかで一時を過ごされておりました。

1日目の宿の場所は近くを散策するだけで数日を必要と思える場所で二条大橋と三条大橋の間に位置していました。近くの一角を数分歩くと、土佐藩邸跡・長州藩邸跡には桂小五郎像があり芸妓幾松と一緒に暮らしたと言われる料亭幾松があり数丁離れたところには池田屋騒動の池田屋跡・薩摩ゆかりの跡地など現代日本の夜明けの足跡を思わせる地域でありました。さらに、鴨川に平行して高瀬川が流れていますが、高瀬舟で知られる「一之舟入」と言われる終着地が夕食をいただいた懐石料理「がんこ高瀬二条苑」とホテルの中間点の高瀬川に碑が建っていることから水運の拠点であった事を物語っていました。

2日目は親鸞聖人750回大遠忌法要参拝の日であります。
本願寺に到着しますと多くのバスと参拝者でしたが、見事な誘導のもと整然と境内に入り法要参拝記念写真を撮影した後法要が行われる御影堂に入りましたが3000人以上の人で一杯でした。 我々札幌教区12班は45名ですが、新潟の地蔵堂A・B併せ195名、石川(鳳珠)217名等々大きい参拝団も多く見受けられました。
石川の皆さんは黄色い三角巾を首にまいて本堂内陣正面前列に居ましたので一段と大集団のように感じました。

我々は正面向かい左奥で本堂内陣は大型モニターでしか見ることが出来ませんでしたが、太鼓が近くにあり、ある雰囲気を感じるには十分でしたし、住職さんのご出勤姿もモニターで見ることが出来ました。

大遠忌法要は総局挨拶から始まり、記念布教福田布教使のお話し・ご門主様・新門様のご挨拶と今年3月の東日本大震災への哀悼と取り組みについて、親鸞聖人750回大遠忌法要のスローガン「世のなか 安穏なれ」についてお話し頂きましたが、現代社会の現実の中でどのように考えていくか実質的な行動は難しいテーマであると思われてなりません。バスガイドさんの話では中日新聞で親鸞聖人の特集をしているとのことでしたが、北海道新聞や京都新聞等で五木寛之『親鸞』を連載しています。

また、6月15日某TV 局で「人に価値あり!法然と親鸞、救いの道を探究した・・・・」タイトル番組が放映されていました。何故法然上人や親鸞聖人が「南無阿弥陀佛」にたどりついたか等々大変わかりやすく説明されている番組でした。
京都であれ地方であれ、今年は多くの人が仏教に接し、多少の時間を共有することが出来たのでないでしょうか。
このような時、西本願寺においてご門主様・新門様共に全国の門信徒の皆様共々「宗祖讃仰作法」によりお参りできたことは、かけがえのない一日でした。
今回の法要を縁に私達夫婦を含め13名が阿弥陀堂にて帰敬式に参列し、おかみそりを受けてまいりました。(法名は釋縁顕といただきました。)

京都から宿泊予定の岐阜長良川までは名神高速道路で養老を経由し一ノ宮より名岐バイパスで木曽川を渡り岐南町切通の“浄慶寺”に向いました。予定より遅れての到着でしたのでお寺の皆さんが今かとお待ちになっておられたようでした。
お寺の前の道路は昔の中仙道であり交通の要であるとともに地域としても栄えたようで、お寺の名前が市場山浄慶寺とあり、ホームページによりますと開基は文明18(1486)年また元和7(1621)年第12世准如上人より寺号をいただいたとのことです。
長い歴史のなかを地域の方々と共に現在に引き継がれた事が偲ばれるお寺で、浄慶寺の坊守さんは眞願寺住職さんのイトコとのことで、住職さんはじめお接待してくださった門信徒の皆さん穏やかな雰囲気のお寺で、住職さん坊守さんが地域と寄り添っての日々を思いお参りさせていただいた一時でした。
浄慶寺のホームページは一見に値する素晴らしい充実したものなので何かの機会に閲覧されるのも一考かと思います。
当日の宿泊は長良川沿いにあるホテルで日没後、鵜飼を楽しみました。
3日目は東海北陸自動車道を北上し飛騨古川から飛騨白川郷へと向いました。途中のひるがの高原SAでは日本三名山の白山・長良川源流の大日ヶ岳を仰ぎ見ることが出来るそうですが、あいにくの曇り空のため麗姿を見ることは出来ませんでした。さらに東海北陸自動車道で日本の道路トンネルとして第3位の飛騨トンネルを通過し白川郷に至り合掌造りの集落を展望しました。

萱葺きの葺き替え等の話から全国でも珍しい萱葺き合掌造りの明善寺を訪れることとなりお寺の庫裡は郷土館で民具等が展示公開されており本堂へは庫裡を通ります。
浄土真宗のお寺とのことでしたが、住職さんによると真宗大谷派で寺号をいただいたのが延享元年(1744年)とのことなので、長きに渡り地域の人々の生活と共に現在に至ったことが推察することが出来るお寺でした。本尊の阿弥陀如来立像はどえらいキンピカでした。

昼食も水田や社寺に囲まれた合掌造りの館で頂き飛騨古川へと向いました。飛騨古川は古い町並みもあり伝統風習が残る飛騨文化地域で、古川には浄土真宗本願寺派の円光寺・真宗寺・本光寺の三寺があり1月15日に親鸞聖人のご恩を偲び夜通しで詣でる「三寺まいり」は地域文化として今も多くの人々が参加されているそうです。

我々は三寺の一つ真宗寺に向かい参拝させていただきました。住職さんは30代で愛犬との独身生活との事でしたが、愛犬が洋犬でなく和犬ならもっと絵になったのにと私的には少し残念でした。
岐阜一宮等々から冬の野麦峠を越え故郷へ帰ってきた娘さん達はどんな思いで三寺まいりし、雪の野麦峠を越えて出稼ぎに戻って行ったのかと思う時、胸のつまるものがあります。
しかし、その時代から三寺が地域にとって身近な場所であり心の支えであり安らぎや喜び等のお寺であったのだと思われます。
飛騨古川は和ローソクが有名で、全て手作りの和ローソクは飛騨古川だけとのことでした。

古川を後にした我々は日光東照宮の「ねむり猫」等で有名な左甚五郎生誕の地と言われている飛騨高山の高山祭屋台会館を見学しました。写真やテレビなどで見る屋台やカラクリ人形は匠伝統の積み重ねで圧倒的な技術を我々に見せていますが、なぜ飛騨の奥の山郷で木工だけでなく塗り・金具等々の匠が育って行ったのか不思議に思われてなりません。
私達夫婦は名古屋から別ルートで帰ってきましたが、3泊4日を明るい皆さんと一緒に旅が出来た事を大変嬉しく思っています。
親鸞聖人750回大遠忌法要に皆さんと一緒に参加し旅させていただき有難うございました。

法名 釋縁顕(髙間 満昭)