Category Archives: 住職から

受け継ごう、このお寺を、お念佛のともしびを

19日報恩講「ともしびの集い」にお詣りいただいた二人が、手にともしびをいただいて…「おばあちゃん、このおあかり、どこにもっていくの?」「これはねえ、のの様におそなえするのよ。さあ、気をつけて、ちゃんと持って、いっしょにおそなえしましょうね。」「うん。そぉっとだね。」…「おじいちゃんも、おばあちゃんも、お父さんも、お母さんも、妹も、そして僕もみんな佛様の子どもだね。」「そうよ、やさしい佛さまのお顔をよく見てごらん。ぼくをいつでも見つめてくださっているわよ。手を合わせて、さあ、おまいりしましょ」「うん。ののさま、ありがとう。」「なまんだぶ…なまんだぶ…」写真からそんなあたたかな会話が、響いてきそうですね。

平成15年3月 寺報「響」
≪写真は安孫子喜一君≫

ねがわれて…今いかされて

自分の両親が2人、祖父母が4人、曽祖父母が8人・・・10代さかのぼると実に2196人、1098組の先祖の方々が私にはいたことになる。その中で一組でも結ばれなかったのならば、今の私は存在しない。そう考えるとこの私も多くの先祖の方がいらっしゃったのかと、多くのいのちの流れをいただいた私だったのかと、不思議な思いになる。

みほとけの国においでになる多くの方々が、この私に願っていることは、ただ一つ。
「仏法にあえよ、あわさせていただけよ」と。

心静かに耳を澄まして聞いてみよう。このお寺を守り続けてこられた私の先祖の願いが、この鐘の音となり時代を超えて心に響いてくる。

平成14年6月 寺報「響」
≪写真は眞願寺蔵 方便法身尊形 阿弥陀如来像≫

愛別離苦(あいべつりく)

佛教の教えに[四苦八苦]という言葉がある。私が生きていく中で必ず出会う苦しみを、お釈迦様がおときくださった言葉である。その中で愛別離苦(どれほど愛する者であろうとも、離れ別れなくてはならない)を死別という悲しみを通し、味わうことは死んでいく者も看取る者も、できれば避けたいことであるが、なかなかそうはいかない。

そんな私に阿弥陀様は、また会うことのできる世界をご用意してくださった。そこが[西方浄土]であり、そこには死んでいくのではなく、往き生まれさせていただき、先に往かれている方々との再開が約束されている。

誰しも死に急ぎたい者はいないが、お互いにやがて来る別れも、どちらが先になろうとも、お念仏をいただき、またお浄土で再開できると味わえばただの別れではなくなる。また会えることのできる別れを、お互いにお念仏を通し語りあえれば、これほどすばらしいことはないのではなかいか。赤く染まった西の空から、心にそう響いてくる。

平成13年9月 寺報「響」
≪写真は原利文氏撮影 12号線江別新橋≫

山も山道も昔にかわらねどかわりはてたる我がこころかな

茨城県八郷町・板敷山のふもと、大覚寺の前で、眞願寺参拝団みなそろい、記念写真を写した。暖かないろりを囲んで住職の留守を預かる坊守様が、心こもるおもてなしをしてくださった。

親鸞聖人が稲田の草庵に20年間おいでになった頃、山伏弁円が聖人の抹殺を試みて、この板敷山に待ち伏せしていたという。自分のとく現世利益をたよるものが、日に日に減少し、このままではどうにもならぬと、意を決したそうだ。「にくき親鸞」だったのだろう。しかしその待ち伏せもからぶりばかりで、我慢ならない弁円は、とうとう稲田の草庵を襲撃に向かったが、親鸞聖人の尊顔を見るなり、すぐさま刀をすててひれ伏し、弟子になったそうだ。

どれだけすばらしいお姿をなさっておられたのだろう。その後、法名を明法房といただき、念仏一筋に生き抜かれた。そんな彼がのちに訪れたとき歌ったのがこの歌であろう。

五郎柿、お餅、里芋・・・いろりでいただいた暖かなぬくもりをいっぱいに心に詰めて、薄暗くなってきた大覚寺を出発した。ガイドさんが「あら!門の前でお見送りですよ!!」振り向くと、いつまでもいつまでも手を振る坊守様が小さく見えて、そのぬくもりが目までも潤ませた。

「またおこしなされ!一筋にお念仏を喜んで、いつまでも幸せに、また会いましょう!」まるで、その遠くに手を振る坊守様が、そうおっしゃっているように響いた。そのお姿に、ただただ頭が下がった。

≪題名は弁円ざんげの歌≫