第2回福島支援旅行に参加して②~札幌組実践運動委員会~

投稿日:2013年12月1日

DSC02537_edited-120日(2日目)午前8時、ホテルまで常福寺住職さんにお迎えいただきホテルを出発、小高町にある「本派ジッポウ」が試験的に植えた菜の花畑や津波でしばらく海水DSCN0197に浸されてフジツボだらけの撤去されずに放置された軽トラックなどを視察の後、浪江町へ向かいました。

DSCN0212_edited-1 役所付近で検問があり、「通行証」を提示し町内に入ると、すぐに常福寺様に到着。先ずは土足のまま、ブルーシートなどでおおわれた庫裏を通りご本堂に入り参拝。一応の清掃と整理は、前の奉仕団がしていただいたようだが、内陣には獣の足跡が目につく。
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常福寺様の総代さんと住職の従兄弟の方がお手伝いにきていただき、ご一緒に作業開始。お盆前に作業していただいた、境内樹木伐採の後がそのままの状態で、庭園につまれたままの枝葉を、軽トラで境内裏まで運び出す作業や、草刈り機2台で境内と墓地を時間の許すかぎり、作業をしました。

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境内も場所によって線量計の数値も変化し、本堂などの屋根の一部が瓦礫となって積んである場所などは高数値が出ていました。
9時半より2時半まで休憩をしながらの作業でした。工事現場用のマスクとビニール手袋、そしてビニール製のツナギ作業着などを着込んでの作業となりました。

作業中も、墓参の門徒さんや、作業をしている姿を見て、一時帰宅された近所の方など、次々にお寺においでになられ、住職と久しぶりの再会を喜んでおられました。町から人が消え、誰も住んでいないこの町に、一時だけでもお寺に人がいることが、参拝される方々にどれほど安心感とやすらぎがもたされたことを、実感した時でもありました。住民の方々は変わり果てた我が町にどんな思いで一時帰宅され、わが寺に墓参りされているのか、その場に立ってほんの少しだけですが、共感することが出来たと思います。

DSCN0207 作業はすべてを終えられたわけではありませんでしたが、翌日は福岡教区が同じように奉仕作業に来られると言うことなので、後はお任せしつつ作業を終えました。

DSC02620 ご本堂に参拝し常福寺様を出発し、住職様のはからいで荒れ果てた浪江DSC02610町や、多くの方が助けを求めつつ亡くなってゆかれた高瀬川の河川敷、そしてまだ打ち上げられたDSC02651漁船がそのまま放置されている請戸港より遠く福島第一の4本の煙突を視察しました。

DSCN0275 まだまだ道路の両側には車や漁船、そして瓦礫となってしまった大切なものが山となったまま、人気のない荒れ果てた状況でした。『避難指示解除準備区域』となって半年、どんな準備が進んだのでしょうか。
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日も暮れはじめ、東京電力が行っているスクリーニング会場に行き、レンタカーのタイヤ4本と我々の靴底をスクリーニングしていただきました。すべて「基準値以内」ということで、会場を出るときには「ご苦労様でした。」と大変丁寧な挨拶をいただきました。

DSC02657 ここで常福寺様御住職とは全員握手で『ありがとうございました。助かりました。』『頑張って下さい。また来ます。』再開を約束しつつ仙台へと向かい、委員長主催の慰労の一時を過ごしました。(仙台泊) つづく~

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