山も山道も昔にかわらねどかわりはてたる我がこころかな

投稿日:2001年3月1日

茨城県八郷町・板敷山のふもと、大覚寺の前で、眞願寺参拝団みなそろい、記念写真を写した。暖かないろりを囲んで住職の留守を預かる坊守様が、心こもるおもてなしをしてくださった。

親鸞聖人が稲田の草庵に20年間おいでになった頃、山伏弁円が聖人の抹殺を試みて、この板敷山に待ち伏せしていたという。自分のとく現世利益をたよるものが、日に日に減少し、このままではどうにもならぬと、意を決したそうだ。「にくき親鸞」だったのだろう。しかしその待ち伏せもからぶりばかりで、我慢ならない弁円は、とうとう稲田の草庵を襲撃に向かったが、親鸞聖人の尊顔を見るなり、すぐさま刀をすててひれ伏し、弟子になったそうだ。

どれだけすばらしいお姿をなさっておられたのだろう。その後、法名を明法房といただき、念仏一筋に生き抜かれた。そんな彼がのちに訪れたとき歌ったのがこの歌であろう。

五郎柿、お餅、里芋・・・いろりでいただいた暖かなぬくもりをいっぱいに心に詰めて、薄暗くなってきた大覚寺を出発した。ガイドさんが「あら!門の前でお見送りですよ!!」振り向くと、いつまでもいつまでも手を振る坊守様が小さく見えて、そのぬくもりが目までも潤ませた。

「またおこしなされ!一筋にお念仏を喜んで、いつまでも幸せに、また会いましょう!」まるで、その遠くに手を振る坊守様が、そうおっしゃっているように響いた。そのお姿に、ただただ頭が下がった。

≪題名は弁円ざんげの歌≫