誕生日と命日

「嫌だなあ」と、本当に嫌そうに顔をしかめられる男性がいらっしゃいます。その人のお兄さんの満中陰の席でのことです。
しきりに、「嫌だ」と言われるので、理由をうかがってみると、「この兄貴の死んだ日は、私の誕生日なんですよ」ということでした。しかもお兄さんだけでなく、近い血縁の3人の方までが、自分の誕生日に死んでいるというのです。

偶然にそういうこともあるのでしょうけど、この人が嫌がっているのは、「めでたい誕生日に、どうしてめでたくない命日が重なるんだろう」ということです。
無理もありません。私たちはこの世で生まれてからずうっと、生と死は反対のものであって、死ぬことは絶望的に暗くて悲しいことだとばかり聞かされているのです。死ぬという人生の一大事に、虚無という恐怖以上の意味を見いだせないのです。

そういう「死」に、自分が思ってもみなかった世界を開いていくのが、仏様の教えです。浄土真宗では、「往生」という言葉を遣います。単に死ぬのではなくて、「浄土に生(う)まれ往(ゆ)く」のです。浄土に生まれるというのは、夢みたいな世界で楽しく暮らすということではないのです。人間という限りある身が、光も生命も限りない完全な智慧(ちえ)と慈悲(じひ)を備えた阿弥陀如来と同じ仏さまに生まれ変わるということなのです。

「命日」というのは、死んだ日でなくて、仏さまの命の誕生日なのです。血縁の三人の方の命日と、自分の誕生日が同じなんて、なんとすばらしい偶然なのでしょう。

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