戦後70年に思う

 太平洋戦争が始まった昭和16年以降、戦局の悪化と物資不足を補うため発令された『金属回収令』は、眞願寺にも及びました。「眞願寺開教125周年記念誌ともに歩む」にも記載されていますが、当時の眞願寺を顧みると、昭和15年10月に伝染病にて第三世廓也住職が43歳で急逝されたので、第二世廓然前住職が再び住職に就任することになりました。
 悲しみの中ではありましたが、翌16年2月に第四世廓悟住職が誕生され、門信徒の皆様も希望の光に恵まれたことと思います。しかしながら、昭和17年『金属回収令』が眞願寺にも及び、門信徒のご家庭にある貴金属をお寺の本堂に集め(写真1)、なおかつご本堂の大切な佛具や鐘楼の鐘(384㎏)までも拠出する事となったのでした。
 阿弥陀如来の救いは、私達いきとしいきるいのちを差別区別なくすべてもらさず救いとってくださるお心です。だからこそ御同朋と申し、お互いのいのちを敬い、尊び合ってゆくみ教えといえましょう。その大切なみ教えを聴聞するお念佛の道場のお荘厳(お飾り)が、戦争で人を殺す道具にするため、日の丸に包まれ拠出する鐘楼の鐘を心痛な面持ちでおられる第二世廓然住職の心中は察するに余りあるものがあります。ただただこころ痛むばかりです。そして戦局悪化してゆく翌年5月、83歳にてご往生されました。きっとこの時の写真が最後のお姿だったかもしれません(写真2廓然師と左側に)。
 同時期、江別の王子製紙工場では、木製飛行機の制作を進め、試験飛行場の造成工事が突貫作業ではじまりました。この工事要員として道内浄土真宗の僧侶が動員され、ほとんどの佛具のなくなった眞願寺本堂が宿舎として使われ、とても「念佛の道場」と言える状況ではなかったと思います。
 戦争一色、すべての自由がうばわれたこの時代、悲痛と苦難の中ではありましたが、戦後70年という節目にあたって、戦争に協力していかなければならなかった過去を真摯に見つめ、同じ過ちを二度とくり返さぬよう反省しなければなりません。
 日本は過去の大きな過ちと反省によって憲法9条「戦争放棄」が制定され、平和な70年を過ごしてきました。しかしこの度の安全保障関連法案は、その憲法を無視し「戦争を放棄する国」から「戦争をする可能性がある国」へと変えていくことになるでしょう。中でも集団的自衛権の行使を容認することは、日本人が国外で人を殺し殺されるという事態が起こり得ることになり、戦争放棄を捨て去ることになります。 未来を踏みにじり、人のいのちを奪い取っていくことに直結する危険性のあるこの関連法案は、受け入れる思いになれないのが今日の思いです。多くの国民が納得できるよう説明と審議を尽くされるよう、そしてこの法案を成立させるのであれば、国民に憲法改正を提案し、その上で国会で議論するべきと思います。
 ご門主のお言葉にあるように、戦後70年の節目に当たり、戦争の悲惨さを今一度受けとめ、異なる価値観を互いに認め合い、共存できる社会の実現のためにあることを、世界中の人びとが再認識する機会となるよう、目指し努力していきたいと思います。

平成27年9月1日
眞願寺住職 釋了正

4-01本堂に集められた拠出される花瓶など

5-01
拠出される鐘楼。中央に第2世廓然師・左にみどり第3世坊守に抱かれた第4世廓悟師。奥に現存する賽銭箱が見える。

5-02
戦時中江別小学校体育館で行われた戦禍で亡くなった方々の合同葬儀の模様。佛像など本尊は無く、日の丸が掲げられている。

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